column: 2004年6月アーカイブ

「イラクの韓国派遣軍を撤退させよ、さもなければ民間人を惨殺する。」と言う人質事件があり、結果として無残にも民間人の金鮮一さんがなくなってしまうという結末を迎えた事件があった。

日本の場合、人質は無事解放されたが、韓国の世論はどうなっているのだろうと日本語で読める韓国新聞社(朝鮮日報)のページをみていた。

金鮮一さん死めぐり世論分裂が深刻
金鮮一(キム・ソンイル)さん殺害事件をめぐって社会世論が両分している。政治、宗教、価値観の差によって同じ事件が全く違った形で解釈され、それが新たな形の争いや対立へと発展している。
 「イラク派兵反対非常国民行動」が主催したキャンドル集会の参加者800人余が警察のバリケードを突破し、殯所周辺に集まってきた。殺害直前の金鮮一さんの切迫した様子を描いたプラカードが掲げられ、群衆は「金鮮一さんを助けろ!」、「派兵を撤回せよ!」と叫んだ。

 警察と群衆、報道陣が殺到し、霊柩車が進行すべき道路が多くの人で埋まり、金鮮一さんの遺体は20分余の間、殯所に入ることができなかった。

 同じ時間、殯所内の遺族は牧師たちと一緒に礼拝をしていた。ある牧師は「金鮮一兄弟は私たちの罪を代わりに背負い、残虐に殺されたイエスの精神を受け継いだ殉教者」と話した。金鮮一さんの遺体が殯所の中に入ってくると、賛美歌『ヨルダン川の向こう側(I shall see Him face to face)』が泣き声と共に響き渡った。外ではデモをしている群衆の歌う『広野で』が暗闇の中、鳴り響いた。

1日前の25日午後9時

 オ・ジョンリョル全国連合議長、ハン・サンリョン統一連帯代表が殯所を訪問した。「イラク派兵反対国民行動」所属でもある2人は遺族に「葬儀を“国葬”と行おう」と要請した。「国民行動」は今回の事件を派兵反対の雰囲気を拡散させる契機にしようとしているのだ。

 遺族らは教会の伝道師の親戚を遺族の代表とした。この代表は「鮮一の死には宗教的な意味がある」と話した。金鮮一さんの死がイエス・キリストの死と似ているという意見もあった。この日、ソウル・オンヌリ教会のパク・ヨングク長老など100人余の信者らが釜山を訪れた。

 「国民行動」は、市民団体で働くキリスト教の牧師らを通して遺族を再び説得した。しかし遺族らは結局27日、「キリスト教の形式に従った家族だけの葬儀」をするとした。国民行動はこの日午後、「遺族の意を尊重する」とし、「今後、葬儀には関与しない」と発表した。

24日午前10時

 ヨルリン・ウリ党(開かれたわが党の意)の李銀栄(イ・ウンヨン)議員が、焼香所が設けられたソウル・里門(イムン)洞の韓国外国語大学の本館を訪れた。金鮮一さんは外国語大学のアラブ語科を昨年卒業しており、李銀栄議員はこの大学の教授出身者だからだ。

 李銀栄議員が焼香所に入ろうとした時、総学生会所属の学生10人余が入り口を塞いだ。派兵反対の主張が書かれた垂れ幕と「国民か、米国か、いますぐ選択せよ」と書かれたプラカードを持っていた。

 学生たちは「汎国民派兵撤回請願運動」という内容の署名要旨を差し出し、「署名しなければ焼香所には一歩も入ることはできない」と話した。李銀栄議員は「教え子の死を哀悼しにきた人に、こんな大きな問題に対する確答を出せというのは無理な要求ではないか」と答えた。

 10分余後、李銀栄議員は焼香所に入るのを諦め、コンクリートの地面の上で金鮮一さんの遺影に向かってクンジョル(額を地面につけるお辞儀)を2回し、大学を後にした。

 アラブ語科学生会と法科大学生会は翌日、校内に「総学生会は故人の悲劇的な死を政治的手段として活用するな」という大字報を貼り、釈明を要求した。

 総学生会は26日、「派兵を強行する以上、またの死の危険が待ち受けているだけ」という大字報を校内に貼った。

24日午後7時30分。

 「イスラム寺院にブタの血を撒く運動を展開しよう」という書き込みがインターネットに掲載された。27日午後まで11人が参加を申し出ている。コーランにブタは極めて不潔な動物と記録されている。

 警察は全国主要都市のイスラム施設へ兵力を配備し、施設を綿密に捜索した。警察庁関係者は「ブタの血を撒くことは脅迫電話をかけたり、イスラム寺院で騒ぎを起こすことよりはるかに深刻な外交問題へと飛び火する恐れのある」とした。

 金鮮一さん事件以降、イスラム信者らも恐怖を感じている。龍山(ヨンサン)のイスラム寺院関係者は「土曜日になれば400〜500人もの人が訪れたが、今週の土曜日(26日)は100人足らずだけだった」とした。

 この記事を見ていて、この件における一方的な当事者批判が行われていない。そういう意味では、いろいろな解釈があり、いろいろな思想があって、その人たちがさまざまな表現をしている。これが普通の姿であると思うのである。(多分今の日本の世論では被害者が亡くなっているから質が違うという問題のすり替えを行うのだろう)
しかし日本ではそうではなかった。被害者であったはずの人質が国に迷惑をかける加害者と言う世論で彼らは貧地に追い込まれた。
 世論の偏りは決していいものではない。被害者は加害者となり加害者は被害者となるという言葉があるように、相手の事情も考えず一方的な意見の押しつけに他ならない。

 このような文章を書いている私はというと、決して偏っていないとは言い切れないのである。これからも記事や行動に対し、厳しいご批判をいただきながら、少しずついろいろな勉強をしていきたいと思う。 

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