atopycolum: 2006年5月アーカイブ
アトピーの人たちは、私の知るかぎり地味である。大学生になって今どきのカッコいい洋服を着てみたくて、生まれて初めてファッション雑誌を買った時は、なんだか恥ずかしかった。お金が欲しくて、清掃業のアルバイトをはじめた。3年間続けた。体に多少なりとも悪影響はあっただろうが、B病院の皮膚科が評判がいいと教えてくれたのは、そのバイト先の社長であった。因果なもんだよ、人生は。
昨年の6月、整形した後すぐに、ゲイの恋人ができた。美容師をしている21才の美男子から告白されたのだ。私の体は、なぜだかこれまでなかった程、きれいになっていた。狂おしい夏を過ごして、秋に彼と別れた。秋のはじめ、私の体はニキビが大量にできた。そして今度は35才の美容師から声をかけられた。髪の長い美青年で、なぜだかまた美容師であった。彼のマンションでコーヒーを飲みながら、私は「まったくこの顔が治る宗教があったら信者になってもいいぜ。」と言った時、彼の顔はギョッとした。彼はある新興宗教の信者であると言った。手かざしすると体の悪いところから膿が出てくるそうである。お祈りをしてあげるから、目を閉じて心の中でニキビが治るように強く唱えなさいと言われるままにした。目を閉じている間、私の心は雑念でいっぱいだった。人間の弱さを市場として新興宗教があるように、アトピーの人間を食いちぎるバカ医者どもも多いだろうなどと考えていた。目を開いてから、彼にこう言った。「もし膿が出るとしたら、それは僕の心からかもしれない。」彼とはそれっきりだった。
10月になって、私の顔は真っ赤になって大学を休学し、C市の病院に入院した。リバウンドだと言われた。顔を切開したままの状態がひと月以上続いた。その病院で、全身リバウンドの男性を見て、この人はいったいいつ愛されるのだろうと思った。最低だよ、オレは!死のうと思って顔に包帯を巻いたままD高速を時速150キロで走ったこともあった。ドライブは好きだが免許を取ったら3年間で9万キロも走ってしまった。これは狂気の数字だ。バイト代のほとんどがガソリン代で消えた。遠くの都市を通りかかる度に、ああ、どうして私はこの街ですべてをやり直せないのだろうと思った。遺書を書いた。泣きながら書いた。書きおえて、またはじめから読み直したら、漢字の間違いがあって直した。そしてまた読み直したら、大笑いしていた。
今年の3月、B病院にかかることになった。皮膚科のG先生に提出するアトピーの日記に、死にたいと書いたら、彼はそれを見て軽く言い放った。「ええ、時々死んじゃう子いるんですよね。」コ、コノヤロー!人が死にたいと言っているのに、まったく死ぬ気も失せるぜ!とにかく、この病院にかかってからは私のアトピーは小康状態を保つようになった。ゲイとしての肉体関係を持つ気にはなれなかったが、ゲイバーにはまた行けるようになった。ミセコ(ゲイバーで働いている男の子たち)は、私の復帰を歓迎してくれた。久しぶりに酔いつぶれた私はミセコのひとりにこう言った。「君はうらやましい。この商売についたのは、君が多少なりとも自分に自信があったからだ。自分の若さ、若い時間を試している。」私は私で留学したいと思っていた。それに、両親から離れたかった。それを実行するために、私は自分の部屋をかたずけた。本とCD以外の物はみんな捨てた。私が生活していた形跡を残したくなかったのだ。ありとあらゆるノート、メモ、テープを捨てたのは、手がかりを残したくなかったからだ。2年後に帰ってくるとだけ書いたメモを残してから私は家出した。H市にある工場で一週間程働いた。両親と離れられたのはよかったが、アトピーは悪化した。まったく眠れずに仕事は手につかず、早朝、荷物をまとめて寮を抜け出した。まぬけだった。私が唯一行くことができる場所はB病院しかなかった。G先生には迷惑をかけてしまって、その後自宅に戻ることになったのある。
私はアトピーの調子がいい時は、本来のお調子者の性格を発揮する。母親からお金をもらってひとりで東京に出かけた。修学旅行以来の東京行きである。私は田舎者で野暮ったく、今まで東京という都市を恐れ、また、憧れていた。東京駅で山手線にのりかえ新宿でおりた。都市の大きさと人間の多さに圧倒されてしまって、私は道のはしっこをうつむきながらはや歩きする。目ざす場所は日本のゲイのメッカ、新宿二丁目である。白昼にもかかわらず、ひと目でゲイとわかる男の子たちがたむろしていた。私は雑居ビルの2階にあるゲイが集まる店に入った。店の中はわずかな照明しかなくほとんど真っ暗に近い。いくつもの小部屋と仕切があって、あえて遠まわしに言えば、男と男が出会う場所である。私はC市でもてないのに、東京にまで来て何してるんだと思いながらタバコをふかして壁にもたれていたら、すぐ傍らで若い男の子が私をじっと見つめているのである。なかなか可愛い子だ。彼と何があったかは、御想像におまかせする。その後、彼とは店で別れて階段を降りると強い日ざしを浴びた。帽子をとり、手で額の汗をぬぐうと、フウーとひと息ついた。東京なんて、ちょろいもんだぜ!男らしく歩いて、高島屋に向かった。
5月17日が「国際反ホモフォビアの日」だったそうです。
ホモフォビアとは、
LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)の
人権問題を考える上で障害になる、
社会の中に蔓延するLGBTへの嫌悪感や恐怖感のこと」。
(Act Against Homophobiaより)だそうです。
「国際反ホモフォビアの日」にちなみ遅ればせながら、1998年より高山家ホームページで掲載していた、あるアトピー患者さんの手記である、アトピーとゲイについてを再掲しようと思います。
18才の時、私の初めての恋人になった彼女に、アトピーであることを告白して、泣いた。その後、彼女と肉体関係を持とうとするが、だめなのである。私の心には偽りがあった。私は子供の時から自分が男にしか興味がないとうすうす気付いていた。そして女と関係を持てば、そのようなことは忘れられると思っていた。彼女のことを愛していた。毎日、きつく抱きしめたが、具体的な男と女の交わりはできなかった。一年半後、彼女は他に好きな男がいると告白したが、別に私は怒らなかった。彼女が女として感じたかったのは当然のことだからだ。私の方にも、いつも偽りがあった。やはり男しか愛せない。そして別れた。その後しばらくして、私はゲイ雑誌を買って、ゲイが集まるところに出入りするようになった。同世代のゲイの男の子は、美男子が多かった。美しい顔立ちと、美しい肉体を見せつけられた私はコンプレックスに陥った。私は美男子ではないし、しかもアトピーだった。
