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 さて、指紋認証装置に指紋登録するときから指紋認証装置との勝負ははじまっています。

 以前の会社ではうっかり右手の人差し指で指紋登録してしまったのです。実は右手って水物を触ったり、よく働いてもらう手なので指紋がなくなりやすいのです。それに、なぜか水疱も右手に出やすいことは私の経験上多いので、あまり手を使わない左手であることが登録の第一条件と考えています。そして、指の種類ですけど、今回は人差し指にしてみました。他の指だと指紋認証装置に指を当てにくいからです。

 なので、入社後訳のわからないまま指の指紋を登録する場面が来ても焦らず左手の指を登録することを心がけるといいのかもしれません。

 会社に入社して最初のころは指紋認証装置がほとんど認証してくれないので、誰かが指認証するのを待って、人の後をついていくというルール無視の状態を過ごしていました。これも初めのうちはいいのですが、トイレに行きたくなったときに、外に出るのは簡単ですけど、トイレから戻るためにその他もう一名一緒にトイレに行ってもらわないとなかなか、席に戻ることが出来なかったりするし、仕事の自由度がかなりそがれてしまいます。

 なので、指紋認証装置がどのときに反応してくれるのかの研究です。

 現在私は指紋認証装置と格闘の日々である。これは何も指紋認証装置と物理的にぶつかり合っているわけではない。

 某会社の子会社の使用人として働いている身分の私。社会全体が人を疑いやすくなってきた時代。その影響もあって使用人として働かせてもらおうと思えば、毎日指紋を差し出してチェックを受けて身分確認を受けてからでないと門を開けてもらえない時代なのである。

 何も、使用人として身分が気に入らないとかそういっているのではない。また身分証明をしないと、会社が門を開けてくれないことを批判しているのではない。指紋認証装置が気に入らないだけなのだ。

 これは一般の人にはわからないだろうが、アトピー患者の場合手の指紋は消えやすいのである。私の右手なんかは指紋がない状態に近いのである。指に水泡なんかが出来てしまうこともあり、指の皮がめくれてしまったら、指紋なんて一瞬で吹き飛んでしまいます。

アレルギー、指導表で管理=学校での配慮事項記載-年度内にも作成・文部科学省

 アトピー性皮膚炎や花粉症、食物アレルギーなどのアレルギー疾患を持つ児童・生徒について、文部科学省は11日、今年度中にも、医師の診断に基づく「学校生活管理指導表」を作成し、運動制限など学校生活上の配慮に生かす取り組みをスタートさせることを明らかにした。
 指導表には、ぜんそくやアトピー、花粉症を含むアレルギー性鼻炎などの罹患(りかん)状況、症状の程度のほか、発作が起きた時に飲む薬や緊急時の処置方法、連絡先などを明記する。
 また、例えばぜんそくの子供には▽掃除で黒板消しをたたく作業などを割り当てない▽体育で長時間のマラソンや縄跳びを避ける-など配慮すべき点も記載。疾患に応じて、食べてはいけない食材や宿泊行事の際の注意事項も盛り込む。
2007/04/11-16:55 時事通信

 文部科学省が義務教育中のアレルギー疾患を持つ児童に対して配慮事項を記載するのは画期的なことである。掃除の時間や、体育のつらさは健常者にはわからないことがあるだろう。

 そういえば、先日某教育大学の学生に上記の内容について同じような質問をされた。以前から教育系ではアレルギー疾患を持つ児童や生徒に対しての管理指導表の作成を考えていたということなのだろうか。

 アレルギー疾患を持つ人間が学校でどういう不都合があるかはまた後日詳しく述べていきたいと思う。

 さて、久しぶりに時事ネタでも記述してみたいと思う。

 関西テレビ放送(関西では「関テレ」)制作のあるある大辞典Ⅱ1月7日放送の内容を巡って問題点穿り返しと、責任の擦り付け合いが一ヶ月たっても続いている。2月28日現在では関西テレビ放送の社長がついに辞任するということになっている。また、下請けの制作会社が他局からもコンプライアンスが明確になるまでお仕事中止の制裁を加えられている。

 さてさて、こんな状況の中、さまざまな「アトピーは××で治る!!」情報に振り回されてきたアトピー患者さんにとって見れば今回の事件なんか「何をいまさら。。」って思われないだろうか?

 結局納豆を朝に二つ食べればやせられるかどうか、確証もないのに痩せられるかのように放送したことが問題なのだとしたら、健康情報番組って全体的にやばくないっすか??

性感染症撲滅計画という性感染症を治療している医師のBlogの記事
http://blog.m3.com/mission_no_std/20060618/1
をみて感慨に耽ってしまった。
診察時の看護師の反応や、ハーレムを作っている男性像。
性感染もたらした犯人探しなどなど。。

そういえば過去にアトピー患者さんでも同じような人がいたなぁと感慨にふけっていた。
彼は「STDと戦うDr」でいうハンター型の男性だったが、私に相談があったときには

ハンター「高山君。アトピーって前立腺から膿が出ることってあるの?」
そのときには、さすがに
高山「もしかしてまた悪さしてるんでしょ??」っていったら
確かに一週間前にそういうことが。。。だった。

一話より続き

 アトピーの人たちは、私の知るかぎり地味である。大学生になって今どきのカッコいい洋服を着てみたくて、生まれて初めてファッション雑誌を買った時は、なんだか恥ずかしかった。お金が欲しくて、清掃業のアルバイトをはじめた。3年間続けた。体に多少なりとも悪影響はあっただろうが、B病院の皮膚科が評判がいいと教えてくれたのは、そのバイト先の社長であった。因果なもんだよ、人生は。

 昨年の6月、整形した後すぐに、ゲイの恋人ができた。美容師をしている21才の美男子から告白されたのだ。私の体は、なぜだかこれまでなかった程、きれいになっていた。狂おしい夏を過ごして、秋に彼と別れた。秋のはじめ、私の体はニキビが大量にできた。そして今度は35才の美容師から声をかけられた。髪の長い美青年で、なぜだかまた美容師であった。彼のマンションでコーヒーを飲みながら、私は「まったくこの顔が治る宗教があったら信者になってもいいぜ。」と言った時、彼の顔はギョッとした。彼はある新興宗教の信者であると言った。手かざしすると体の悪いところから膿が出てくるそうである。お祈りをしてあげるから、目を閉じて心の中でニキビが治るように強く唱えなさいと言われるままにした。目を閉じている間、私の心は雑念でいっぱいだった。人間の弱さを市場として新興宗教があるように、アトピーの人間を食いちぎるバカ医者どもも多いだろうなどと考えていた。目を開いてから、彼にこう言った。「もし膿が出るとしたら、それは僕の心からかもしれない。」彼とはそれっきりだった。

 10月になって、私の顔は真っ赤になって大学を休学し、C市の病院に入院した。リバウンドだと言われた。顔を切開したままの状態がひと月以上続いた。その病院で、全身リバウンドの男性を見て、この人はいったいいつ愛されるのだろうと思った。最低だよ、オレは!死のうと思って顔に包帯を巻いたままD高速を時速150キロで走ったこともあった。ドライブは好きだが免許を取ったら3年間で9万キロも走ってしまった。これは狂気の数字だ。バイト代のほとんどがガソリン代で消えた。遠くの都市を通りかかる度に、ああ、どうして私はこの街ですべてをやり直せないのだろうと思った。遺書を書いた。泣きながら書いた。書きおえて、またはじめから読み直したら、漢字の間違いがあって直した。そしてまた読み直したら、大笑いしていた。

 今年の3月、B病院にかかることになった。皮膚科のG先生に提出するアトピーの日記に、死にたいと書いたら、彼はそれを見て軽く言い放った。「ええ、時々死んじゃう子いるんですよね。」コ、コノヤロー!人が死にたいと言っているのに、まったく死ぬ気も失せるぜ!とにかく、この病院にかかってからは私のアトピーは小康状態を保つようになった。ゲイとしての肉体関係を持つ気にはなれなかったが、ゲイバーにはまた行けるようになった。ミセコ(ゲイバーで働いている男の子たち)は、私の復帰を歓迎してくれた。久しぶりに酔いつぶれた私はミセコのひとりにこう言った。「君はうらやましい。この商売についたのは、君が多少なりとも自分に自信があったからだ。自分の若さ、若い時間を試している。」私は私で留学したいと思っていた。それに、両親から離れたかった。それを実行するために、私は自分の部屋をかたずけた。本とCD以外の物はみんな捨てた。私が生活していた形跡を残したくなかったのだ。ありとあらゆるノート、メモ、テープを捨てたのは、手がかりを残したくなかったからだ。2年後に帰ってくるとだけ書いたメモを残してから私は家出した。H市にある工場で一週間程働いた。両親と離れられたのはよかったが、アトピーは悪化した。まったく眠れずに仕事は手につかず、早朝、荷物をまとめて寮を抜け出した。まぬけだった。私が唯一行くことができる場所はB病院しかなかった。G先生には迷惑をかけてしまって、その後自宅に戻ることになったのある。

 私はアトピーの調子がいい時は、本来のお調子者の性格を発揮する。母親からお金をもらってひとりで東京に出かけた。修学旅行以来の東京行きである。私は田舎者で野暮ったく、今まで東京という都市を恐れ、また、憧れていた。東京駅で山手線にのりかえ新宿でおりた。都市の大きさと人間の多さに圧倒されてしまって、私は道のはしっこをうつむきながらはや歩きする。目ざす場所は日本のゲイのメッカ、新宿二丁目である。白昼にもかかわらず、ひと目でゲイとわかる男の子たちがたむろしていた。私は雑居ビルの2階にあるゲイが集まる店に入った。店の中はわずかな照明しかなくほとんど真っ暗に近い。いくつもの小部屋と仕切があって、あえて遠まわしに言えば、男と男が出会う場所である。私はC市でもてないのに、東京にまで来て何してるんだと思いながらタバコをふかして壁にもたれていたら、すぐ傍らで若い男の子が私をじっと見つめているのである。なかなか可愛い子だ。彼と何があったかは、御想像におまかせする。その後、彼とは店で別れて階段を降りると強い日ざしを浴びた。帽子をとり、手で額の汗をぬぐうと、フウーとひと息ついた。東京なんて、ちょろいもんだぜ!男らしく歩いて、高島屋に向かった。

5月17日が「国際反ホモフォビアの日」だったそうです。

ホモフォビアとは、
LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)の
人権問題を考える上で障害になる、
社会の中に蔓延するLGBTへの嫌悪感や恐怖感のこと」。
Act Against Homophobiaより)だそうです。

「国際反ホモフォビアの日」にちなみ遅ればせながら、1998年より高山家ホームページで掲載していた、あるアトピー患者さんの手記である、アトピーとゲイについてを再掲しようと思います。

 18才の時、私の初めての恋人になった彼女に、アトピーであることを告白して、泣いた。その後、彼女と肉体関係を持とうとするが、だめなのである。私の心には偽りがあった。私は子供の時から自分が男にしか興味がないとうすうす気付いていた。そして女と関係を持てば、そのようなことは忘れられると思っていた。彼女のことを愛していた。毎日、きつく抱きしめたが、具体的な男と女の交わりはできなかった。一年半後、彼女は他に好きな男がいると告白したが、別に私は怒らなかった。彼女が女として感じたかったのは当然のことだからだ。私の方にも、いつも偽りがあった。やはり男しか愛せない。そして別れた。その後しばらくして、私はゲイ雑誌を買って、ゲイが集まるところに出入りするようになった。同世代のゲイの男の子は、美男子が多かった。美しい顔立ちと、美しい肉体を見せつけられた私はコンプレックスに陥った。私は美男子ではないし、しかもアトピーだった。

水沢の無理心中:病苦で2子絞殺、母親に実刑判決--盛岡地裁 /岩手(毎日新聞)

 息子2人のアトピー性皮膚炎に悩んで無理心中を図り、長男(当時5歳)と二男(同5カ月)を絞殺したとして殺人罪に問われた奥州市水沢区佐倉河、無職、那須野理香被告(33)に対し、盛岡地裁(杉山慎治裁判長)は18日、懲役4年6月(求刑懲役8年)を言い渡した。
 弁護側は「重度のうつ病で責任能力がなかった」と主張していた。しかし精神鑑定や行動などから、杉山裁判長は「是非を分別する能力を全く欠いた状態ではなく、心神耗弱の状態であった」と認定した。
 判決によると、那須野被告は昨年5月4日午後8時ごろ、水沢市(現奥州市水沢区)羽田町の空き地に駐車した軽乗用車内で、両手やネクタイなどで長男と二男の首を絞め窒息死させた。その後、包丁で自分の腹や胸などを刺して自殺を図ったが未遂に終わった。
 杉山裁判長は「殺意が強固だった」としながら、「犯行に至るまでは懸命に子どもたちの看護や養育に努め、同情すべき点がある」と量刑の理由を述べた。【岸本桂司】

子供と無理心中図った母親に判決(いわてめんこいテレビ)

 去年5月、旧水沢市で、無理心中をはかり、幼い2人の子どもを殺害した母親に対し、盛岡地方裁判所は懲役4年6ヶ月の判決を言い渡しました。
判決を受けたのは、奥州市水沢区の無職・那須野理香被告です。判決によりますと、那須野被告は、去年5月、旧水沢市内の空き地に止めた車の中で、ネクタイやテレビのケーブルを使って、当時5歳の長男と5ヶ月の次男の首を絞め、殺害した罪に問われています。きょうの判決公判で、盛岡地裁の杉山慎治裁判長は、「誰よりも慕い、信頼していた母親に殺された子どもたちの哀れさは、忍に耐えない」と指摘しました。その一方で、被告人は犯行当時、心神耗弱の状態だったとして、懲役8年の求刑に対し、懲役4年6ヶ月の判決を言い渡しました。

 松岡さんのエントリーから情報を知ったのですが地方の情報を集めることは難しいですね。

 アトピー的自由計画のことが新聞に掲載されて以来、私の勤める職場へアトピー的自由計画のことを問い合わせる方が、たびたびお越しになられる。

 わざわざ、アトピー的自由計画の拠点にしている場所までお越しになられてどのようなことを私に伝えに来たのかというと

 「アトピーを治すこと、諦めておられるんですか?」

ということらしい。当事者の方ならこのメッセージどういう意味かすぐにわかるでしょう。

 お越しになられる方はアトピーでない人なのであるが「私の知り合いでアトピーの方が居ましてその方が言うには。。。。。」

 内容は特定の民間療法である。初めて訪問した人を対応したのときには商品名が出てくるまで話を聞いていたので、二回目の方は商品名が出てくるまでに話をやめさせてやろうと気合を入れて話をお伺いした。そして、アトピーの原因の話に入る前に、如何にアトピー患者一人ひとりが力強く生きていて、私なんかは何もしなくても、環境汚染に犯されていても普通に生活できていますよと。当事者であることを前面に押し出して症状のよさを見せ付けながら「これでも私がアトピーのことを諦めた人間に見えますか?アトピー的自由計画はアトピーを撲滅することが目的です。しかし現状では撲滅できないことを社会の人に理解してもらうことも活動としています」

 しかしそのあとが予想外の展開となった。特定の治療法に関しての話を辞めたかと思うと、
「実は私はアトピーの人のために何か役に立ちたいのです」と涙をにじませながら話をされたのである。彼女は私を助けに来たつもりだったのだろう。

 私の心の中では、「アトピー患者はかわいそうな人たちではない!!」といいかけたが

 「アトピー的自由計画に対する活動の理解をしていただけることが今私の役に立つことなのでアトピー患者さんに向かって原因追求をすることがけ辞めてください。それが一番の善意です。」

 といって帰ってもらった。はぁ。人のやさしい想いは思わぬ方向に向くと困りますね。先日断食療法で無くなったアトピー患者さんも周囲の人からさまざまな治療を進められた上での惨事だったのではないかとご冥福を祈りながら、今日もアトピー自己責任論を展開する非当事者へ、私の心の中ではパンチを繰り出す日々である。

断食療法、アトピー女性死亡=治療師の男逮捕-2週間で10キロ減・大分県警  大分県玖珠町の別荘で昨年4月、アトピー性皮膚炎で断食療法を受けていた神戸市東灘区の女性=当時(27)=が死亡する事件があり、県警捜査1課と玖珠署は6日、保護責任者遺棄致死容疑で福岡市南区日佐の治療師村田啓二容疑者(55)を逮捕した。同容疑者は否認しているという。  調べによると、村田容疑者は昨年3月下旬から4月中旬までの予定で女性を同町内の別荘に宿泊させ、断食で食事量を制限した「養生治療」を行った。女性は寝たきりの飢餓状態となったが、同容疑者は病院で診療を受けさせるなどの措置を取らず、4月7日、急性肺炎で死亡させた疑い。  村田容疑者は断食して少量の玄米やごま、野菜スープなどを取る療法を行っていたとみられる。女性は入所時に約50キロあった体重が、約2週間後に死亡した時は約40キロまで減っていた。  (時事通信) - 4月6日13時0分更新

この報道はかなり以前にあったのだが、被害にあった人とがかなりアトピーで悩んでいたことと、断食でアトピーを治しきれるという希望を持って治療を受けに行っていたこと。同じアトピー患者として妙な治療法は散々試した私も被害者の気持ちが痛いほどわかる。こういう事件を少しでも減らすために私たちができることは、「アトピーを受け入れて生きていくことも悪いことではない」と思ってもらえる社会環境をどう作り上げていくかがあたらためて課題になるのではないかとおもう。

 当事者が被害にあう心理状況も良くわかるので被害者が悪いと言い切れない。そして、被害を起こす治療者と称す詐欺はつぶしてもつぶしてももぐらたたきのようになるだけだ。

 だからこそ、病状が悪くてもコンプレックスを持たないで生活できることをどう作り上げていくのか、自由計画の活動で実現していきたいと思う。

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