激闘 人生あと一ヶ月 親父とのラストラン その19

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 看病も佳境に入ってきた。

 親父の兄弟さんをホテルに送り届けた後、私は看護婦から言われたとおり、病院に戻ることにした。

 そろそろ、山場がきているらしい。

 その晩は、家から必要なものをかき集めて身動きのとりやすい服装で夜の11時に戻った。病院では深夜の面会もホスピスに限りOKしてくれており、深夜の当直の人に病棟へとつないでもらうことができた。

 家族室では畳の間で2,3人が寝られるスペースとなっていた。

 そこで、眠っていると深夜に看護婦さんがやってきて「高山さんおとうさんが呼んでいますよ」っていうから午前2時ごろ見に行ったら親父が「おったんか」なんていってこちらをじっと見ていた。どうも寂しさが襲ってきたらしい。

 そして、一時間ほど近くにいたら眠ったので私も部屋に戻り眠ることに。

 翌朝は親父の兄弟さんがホテルからやってきて私のできないことをいろいろと手伝ってくれた。

 食事の準備や看護の代わりなど。。

 そして、肩で息をしているぐらいなので口の中はからからに。これを看護婦さんに相談したら、早速秘密兵器が登場。口の中に入るサイズの四角いスポンジが刺さっている棒を持ってきて、スポンジに水分を含ませて口に入れてあげると、口内でスポンジをかめば水分が出るので楽になりますよとのこと。そして、親父の好きな冷えたジュースで口に含ませると喜んでいた。そして、口の中の渇きを長い間潤すのにまだ方法があり、ジェル状の味のついた軟膏を口の中に塗ってあげたら楽になるとのことで早速試すと楽になったとのこと。いろいろな工夫があるものです。

 それに、空調をきつくした影響で、咳をしだしたので加湿器を頼んだけど貸し出し中だったので、部屋に潤いを与えるために、ぬれたタオルを持ってきてつるしてくれたり、親父のベットでの仰臥位置を見てクッションを持ってきて寝返りを打たせてやったり、痰が絡んでいても、吸引機で吸い取ってはいけないなどの指導もあった。痰を吸い取った後、体がまた、痰を作るのに体力を使うのと、今以上の痰ができてしまうからだそうだ。末期がん患者さんの特性を知り尽くした上での対応をしてくださることは本当に安心感という言葉以外なにものでもなかった。

 そんな中、看護を少し休んで、私が昼間に仮眠を取っているときに主治医からなにやら兄弟さんと兄に話があったそうなのだ。それは、親父の命は後数日しかない状態であること。そして、最期は人によっては苦しさにより、暴れだす人もいるのだそうだ。もし、家族が見ていてもつらそうな状態であれば、永眠するための睡眠薬を投与するタイミングを考えてくださいとのことだった。

 この話、私は驚いてしまったし、まだ、数日話をしたいと思っていたから何で、もうそんな話が出てくるんだという悔しさでいっぱいだった。だって、やっと親父が安心できる看護体制になったばかりなのにもうお別れなんて考えたくも無かったのだ。

 そんな話もあり、泣いていても親父に悪いので気持ちを切り替えるのには結構時間がかかった。でも、そのときの悔しい気持ちは今でも変わらない。そんな中、私がうろうろしていたら、親父から必ず呼び出しがかかり、私が戻ると、今まで見せなかった笑顔を見せるようになった。親父の兄弟さんもいるのにと思いながら、私が部屋に戻ると、ベットから起き上がりたいというので看護婦さんを呼んで車いすに乗せかえることにした。

 そして、車椅子に乗り換えてからロビーにあるベランダに連れ出すことに。すると、看護婦さんが気を利かせて写真を撮りましょうかというではないか。そして、普段ならなかなかできない、親父の兄弟さんとの家族写真を撮影することができた。その写真は今でも私のいい思い出の写真で今で、これほど大事に思った写真は無い。

 その後、コーヒーのいい香りが漂ってきた。ホスピスボランティアさんの手によって病棟にコーヒーが配られていた。なので、親父にもと思ったけど、飲めなかった。その後、冷たいものが飲みたいというので、メニューの中に缶コーヒーをいったら、「飲みたい」との返事。初めて医大に入院したときに喫茶店へ連れて行ったときに私がミルクにしておいたほうが良いといったのを聞いてコーヒーを我慢していたようだった。なにも禁止したんではないのに、親父が私の行動を見て思い込んでしまっていたらしく、それからは冷たいコーヒーを飲ませることにした。親父は仕事の最中に缶コーヒーをよく飲んでいて相当好きだったのだろう。そんなことも私は知らなかった。

 それに、マッサージの手配まで病院はしてくれていたんだけど、それもしんどいとのことでキャンセルに。

 また、痛みの波も相当なものがあったようで、顔をしかめて痛がり出した。そのつど注射のスピードを速めるがそれ以上につらいようなので投薬量の基礎ベースを普通から徐々にアップさせることに。あまりの痛みに親父も、痛みの襲ってきた後叫ぶように「家に帰りたい」というセリフを吐いた。

 確かに、家につれて帰りたいんだよ俺だって。でも、今の状態では動けないんだよ。って心の中で叫んでいた。それに、この病院はすでに、一回目に診察の相談をしたときに、往診で緩和ケアのしてくれる先生と、家での看病の仕方はすでに教えてもらっていたんだけど、今の病状ではできないんだよ。確かにホスピスにつれてきたのは家に帰るための準備をするためにが名目だったし、つれて帰られる準備は整っているんだよ。 

 あとで思ったのは、ベッドも準備してこちらは待っているのにニーズにこたえられない親父の悔しさだったのかもとあとで思い返していた。

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このページは、takayamakeが2008年12月24日 00:00に書いたブログ記事です。

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