激闘 人生あと一ヶ月 親父とのラストラン その18

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 さて、後は親父の兄弟の受け入れとなった。

 親父の兄弟は全部で7名。そのうち来られる事になったのは5名だけどそれにプラスご家族ということになる。

 東は埼玉から、西は長崎の五島列島まで。そして、対面の日を迎えることになった。

 昔の大家族さながらで、総勢で十数名の人がやってきた。病院の場所は駅からわかりにくいこともあり、先行していてくださった兄弟さんにお願いして駅から病院までの送迎をお願いした。事前に親父の病状については話をしており、絶対にやせたとか、つらくないかなどということは言わないでくれと念押しをした。

 親父の遠い親戚で大阪におられた方が数日前に見舞いに来て、うっかりそんな話をして本人が落ち込んだことがあったからである。

 やはり親父も長男としての意地があったのだろう。兄弟が来る前の日にはトイレは自分で行く訓練をしたし、ロビーのベランダまで連れて行ってくれと言われ、外に連れ出したりして、その日に備えたのだけども、病気の進行は早いもので、事前に準備しても、兄弟が来られるときは仰臥するのがやっとであった。

 そして、対面の日を迎えた。やはり兄弟さんは親父を少し見てすぐに部屋から出て行ってしまった。
 あまりの衰弱に見られなかったのだそうだ。

 その後、皆さん気を取り直して、親父と面会。親父も安堵の顔を見せた。

 そして、長崎の五島列島まで帰らないと味わえない、兄弟のみしかわからない話をみなで始めて、親父は長男だから、親からはかわいがられていたよななんていう話をして、茶化していたら、眠っているふりをした父が合いの手を入れたときには、兄弟中から大きな笑い声が起こり、皆が喜んだ瞬間でもあった。

 そして、後で聞いた話だけど、中の悪かった次男さんに対する誤解も親父が涙を見せて手を握っていたそうで、次男さんは亡くなった後も、それができたのはほんとによかったと喜んでいた。

 それに、実家でよく食べていた五島名産のものを調理場を使って次男さんの奥さんが作ってくれ、食欲の無い親父もそれだけは食べるといって、ヨモギもちとふかし饅頭を少しの量だけれでも口にすることができた。

 事前に、電話で話していたとき、親父の兄弟さんには「病院を移します」って話をしたら、何かいやな雰囲気に感じていたようで、兄をどこに連れて行くのって感じだったけど、きていただいてからは「ありがとう」という励ましの言葉を再三かけていただいた。

 とにかくこれだけ大人数の見舞い客を受け入れることは以前の病院では事実上無理だったと思うし、きていただいても私の家を待機用にするしかなかったが、広いロビーがあることで交代して親父を見ることができたことと、病室でも常時6人はついていられるぐらいの広さで、いすを借りたりすれば全員が病室に入れたこともハード面によるよさがあると今は思う。そんな、兄弟さんの受け入れをできた出来事であった。

 その後、兄弟さんには近所のシティーホテルへご案内して二泊分の部屋を確保しておいたので移動してもらい、ホテルで食事を一緒にとりながら話をすることにした。

 その際私はつい、本当はもう少し元気なら、ここで皆さんと親父で食事が取れればと思っていたんですが、親父の病状の進行が早いため、実現できず申し訳ないってはなししたら、「一人で悩まずにもっと早めに連絡くれれば相談に乗ったのに」っていわれちょっと涙してしまう部分もあったりした。

 今回の看病では「遠くの親戚より近くの他人」さんに多く助けてもらったけど、遠くの親戚も頼ってみるべきだったと後になって思い返していた。

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このページは、takayamakeが2008年12月23日 00:00に書いたブログ記事です。

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