激闘 人生あと一ヶ月 親父とのラストラン その12
がん告知後の父は、日に日に衰弱していた。
食事は食べられないし、モルヒネも利きすぎているせいなのか、意識も朦朧とするらしく、今の時刻さえわからないこともしばしば。
そして、突然怒り出すことも珍しくなくなってきた。
そして、食事が食べられていないことに疑問を持った私は、看護婦に
「親父に栄養はどうやって与えるつもりだ!!」って詰め寄ったら、点滴が始まった。
そして、食事の内容については相も変わらず普通食。医大病院では流動食があって食べやすそうに食べていたんで、なんでかと一度親父と看護婦で質問してみることにした。
高山 食事ですけど、流動食とかないんですか?
看護婦 そうですね、キザミ食ならあります。
高山 どんな内容になるんですか
看護婦 食事が刻んであるのです。
高山 いやいや、流動食はないのですか?
看護婦 当病院ではキザミ食だと思います。
なんじゃ?キザミ食って?どれだけキザンデあるんだろうと疑問に思っていたけど、翌日親父から「おい、キザミ食って普通食をミキサーにかけただけのもんだったぞ。こんなもの食べられるか!!」って親父が言うので見てみたら、焼き魚や、きゅうりの酢の物をミキサーにかけたものを並べただけ。世間で言う流動食は少量でも高カロリーなもののはずだ。そして、このキザミ食、まずい。
そして、おかゆについても量が多いので減らしてほしい。もしくは食べられるようにもう少しさらさらにしてほしいといったところ、「おもゆ」になりますねって話になり出てきたのを見たら、かゆのうわべの水分だけを掬ったものが登場した。
なんじゃこりゃ。でんぷん質の水である。味もないし、元気な人間でも口に入れる気はしない。
とどめは、肝臓の薬ですって飲みきれない量の粉薬が登場した。食道も、胃も、爛れた状態で物が通らない状態で苦しんでいる人に、粉薬攻撃をしてくる。そして、ある薬がなくなったので、看護婦に申し出たところ、処方した量と飲んでいる量が違うと言い出して、薬を忘れないように飲むように親父に注意した上、「朝」「昼」「晩」と書かれたケースに薬を小分けにしてベットの横に置いていた。こともと同じ扱いである。
薬を飲まないのではなく、飲めないのである。こんなことも看護婦たちはわからないのである。
そして、ある日突然親父足にむくみが現れだした。
母の最期も足のむくみがすごく、家族一同で辛い思いをした場面がよみがえってきた。
そんな中、父も知り合いの友人に電話をして事情を伝えだしたらしい。そして、ある親父の友人が見舞いに来たので、私は席をはずすことにした。
そして、戻ってくるとその人はがんセンターで助かった人がいるんだからお父さんもそちらにかかられたらどうだと、親父にも勧めていた。親父も病状がどの程度まで進んでいるかなんて知らないんで、がんが治せる方法を考えていたんだと思う。しかし、ここでがんセンターに連れて行く余裕などない。仕方がないので、がんセンターを勧めた人を病室から連れ出して、2時間にわたり事情を話して説得した。途中かなり口論となったけど、最後は「そんなに病状が進んでしまっていたんですか」ということを言われたので、それで解放することにした。
親父の気持ちは痛いほどわかるんです。僕もアトピーを治したいと思っていろんなことを知ったんだけど結果は病気を受け入れることだった。それには相当の歳月がかかった。そして、親父にもそれが必要なんだけど、病名を知って一、二週間で自分がなくなる病気を受け入れる人なんてまぁいないさ。だからこそ、周りが現実を知り、親父の迷いを今は減らして家族と最後まで一緒にいられるように尽くすことしかできないのであった。
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