激闘 人生あと一ヶ月 親父とのラストラン その5
さて、転院先も決まり、病気も少しだけだったけど、改善する方策が見えた。だけれども、治らない病気なのである。
悪くなることはあっても劇的な改善はもう期待できないのである。ただひたすら、病気で弱っていく父を見ていくだけの看病。だからこそ、少しでも元気をつけてもらうために、何か栄養をつけることができないだろうかと、そして、病院生活に楽しみでも作ることはできないだろうかと、考えるようになった。
売店にまで歩くことができた父は旅の本やジグソーパズルの本を買ったりしていたので、そのあたりの本なんかをそろえてあげればいいのだろうかとも考えいたし、できれば旅行にも連れて行きたいので、有馬温泉の高級旅館を紹介していた雑誌を買ってそれとなく差し入れておいたりしたものだ。さらに、それとなく、父の実家である長崎県の話をしてみたり、有馬温泉に行ってきた話をして興味があるかどうか確認したりもしてみた。
旅行にいけそうな先があれば家に帰って、あらかじめ日程や費用などを確認してみたり、できそうなことをすぐできるようにそれとなく調べていた。
それに、救急病棟に担ぎ込まれていたので、テレビが配備されていない部屋だったので、私が買ったばかりのEEEPCにワンセグチューナーをつけてテレビが見たいだけ見られるようにしたり、夜になるとさびしくなるのでラジオを聞けるようにポケットラジオを差し入れたりして、できるだけ暇にならない気配りもしていたのであった。
あとは、食べたいものを探してやったりするのだが、まずは、病院食が食べられるかどうかがポイントだった。CTでも胃カメラでもわかったように内蔵はほとんど傷みきってしまっている。胃は出血がひどい状態なのだ。なので、食事の後はどれが食べられてどれが食べられないかを仔細に聞くことにしていた。
看護婦にはほとんど自分のことを話さない人だったので、食べられない理由がなになのかは、家族からも伝えることにしていた。医大では救急病棟ということもあって、看護婦の数も多めなので活用しない手はない。食事では肉が厳しいとのことだったので、流動食でも肉片が入っていたらそのつど看護婦には伝えるようにしていた。
医大では看護婦も病状を理解していたようで、改善を申し入れればその後食事は確実に変化をしていった。なので、栄養が取られないのではないかという心配もなくなっていた。
そして、痛み止めに関しても貼り薬タイプのものがあることもわかり、簡単な外出ぐらいならできそうだなぁと思えるようにもなってきた。
ただ、今まで親父とはずっと険悪な関係だったにもかかわらず、突然やさしく看病しだすものだから、親父も「なにかあるんじゃないか」と怪しんで疑うときがよくあった。それは痛み止めだけしか処置しないのはおかしいと言っていたし、胃潰瘍なら薬はないのかといってもいたし、親父が「俺は癌とちゃうのか」っていうから、「いやいや、胃潰瘍やで。胃潰瘍は専門の病院にかかればピロリー菌を抗生剤で殺すだけでなおるからすぐに治るで」などと、目いっぱいのうそをつかざる終えないときもあった。
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