激闘 人生あと一ヶ月 親父とのラストラン その3

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 とにかく、受け入れたくない患者はいろんな理由をつけて転院させようとする医大側の姿勢は無責任という言葉が当てはまる。しかし、ここでゴネても医大病院に残れそうにもなさそうな雰囲気なのだ。

 たとえば看護婦詰め所に点滴の終了を伝えに行っても婦長が直々に出てきて「何の御用でしょうか」って感じだし、看護婦も詳しい話をしようとしても「医師とお話されてからにしてください」などなど。とにかく、コミュニケーションをとらないようにしているのが丸わかりだ。親父に聞いても医師は診察をせず、見回りにも来ないといっている状態。

 この状況をどう打開するべきなのか。

 私のかかりつけ医に電話で今、目の前で起こっている状況を確認してみたところこうだった。日本の医療体制は一次、二次、三次と区別されており、救急病院ではどの病院に振り分けるかということを考えるだけで、病状によっては処置のみをして、治療はしないのだそうだ。また、救急でいる医師たちは外科と麻酔科の医師が主なのだそうだ。なので、救急で外科麻酔科以外の患者だと、救急病棟の医師は、医大内の医師たちに受け入れをお願いしないといけない。それを嫌がるので、外科以外は結構他の病院に転院させることが多いとのことだった。

 そして、私のかかりつけ医からは次の注釈ももらった。もし、医大が三次病院を指定してきた場合、断固として拒否するべきで、二次病院に転院できればよしとすることとのことだった。

 そして、もう一人のK市のK病院にいる医療従事者にも電話をした。

 すぐに転院させるような病院はK市で聞いたことはない。よければ、出直して当院に来てくれれば受け入れます。との返事をいただけた。

 そして、もし、医大側が三次病院を指定してきた場合は、私一人で決断をせず、いったん家族で相談するという形で返事をしてから、K市のK病院へ転院させる選択肢も含めながら医大側と対峙することとした。

 その間、CTの画像を見て抗がん剤治療もこれは無理だなということはすぐにわかったし、すぐにホスピスへの転院も視野に入れて、15年ぶりに再会した、障害者団体でかかわりのあった人に医療情報の提供をお願いした。
 障害者団体は私の住んでいる市にあるため、障害者の人からの生の医療情報をいただけることはとても重要なのだ。私のようなN市の医療には見切りをつけて、K市まで駆け込みに行っている人間としてはN市のことをまったく知らなかったのだ。それに私は生粋のS大学医学部学閥信奉者。なので、N市の事情なんてどうでもよかったんだけど、この場に及んではそうも言っていられない。それよりも、N市は生活がしやすいという彼らの言葉を信じて、情報収集に向けて協力をお願いしたのである。
 すると、早速ホスピス治療のやっている病院と、ホスピスの訪問医や今まで准看護士としてかかわっていた病院の情報などを仔細に書いてメールを送ってくれた。これは、とても心強い内容で、相談相手としては十二分なのであった。

 なんとか、これだけ情報を収集して、入院一日目が過ぎようとしていたのであった。

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このページは、takayamakeが2008年11月 1日 00:00に書いたブログ記事です。

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