激闘 人生あと一ヶ月 親父とのラストラン その1

| | コメント(0) | トラックバック(0)

 亡くなった親父との闘病記を残しておく意味で文字を連ねていきます。

 2008年9月11日朝6時15分ごろ自宅一階で同居している父から「おい、救急車呼んでくれ」と叫び声が聞こえた。
私は何事かとすっ飛んで二階の部屋から一階へと降りると、蹲った父が「苦しくて息ができない、救急車を呼んでくれ」
というのですぐに119番へ。そのとき119番のと会話の内容なんて今は思い出せない。とにかく救急車が来るときにサイレンだけ消してくるように指示したことだけは覚えている。

 

 そして、救急車が到着。自宅の近くではサイレンを消していたけど、急いできる道中にサイレン音が響いていたので近所の人がある程度察していたようだった。救急車も急いでやってくるからその際の緊急性を考えるとサイレンを鳴らすのは仕方のないことであると思っているし、サイレンが鳴っていないと来たかどうか判らないという事情もある。

 歩行可能だった父は救急車へと自ら乗り込み、救急隊員の質問に答えていた。とにかく息苦しさしか訴えない父。それに医者なんかにもかかることもない元気な大工さんで、前日まで仕事にいっていたぐらいだったので何が悪さをするのかさえ、わからなかった。なので、隊員も混乱していて「誰かに暴力でも振るわれましたか?」なんて質問してるし。ただ、ここで病状の重篤性を訴えないと小さな病院へと運ばれてしまう。これだけはN市内では避けなければならない重要な点で、医療機器があまり、整わない貧弱な病院が多いし、なんとしてでも大病院と思っていた。結局苦しさを訴えていることで、血管の病気ではないかという隊員の判断で、隊員が「医大へ直行します」との、おかけ声とともに、車は医大病院へと進んでいった。

 救急車は朝会社へ出勤中の車を押しのけて幹線道路をサイレン鳴らしてスピードを飛ばす飛ばす。幹線道路が交差する交差点でもサイレンとスピーカを駆使して突き進んで行った。その影響もあってか、車は飛ぶように跳ねる跳ねる。ベットで眠っている患者である親父は「もうちょっと優しく運転できないのか?」と後で話をしていた。同乗していた私でもこの跳ね方はなんだろと思うぐらいであった。事実、相当車はスピードを出して走り抜けていることは確かであったし震災以後道路の舗装状態が悪いままであることも要因だったんだろうとおもう。そして、救急車は医大病院へと滑り込んでいった。

 そして、医大にある、救急の集中治療室に担ぎ込まれた。そのとき中でどのような会話があったかはわからないが、家族は同室を差し控えられた。そして、「ご家族の方ですか?ちょっとこちらへ」と夜間の守衛さんから声をかけられ、「こちらの病院にはかかられたことがありますね?」という話になり、父が十数年前に診察していたときの記録をすでに用意してあり、「では、この書類にサインをお願いします」と提示された。その書類の量たるやすごいもので病院の規定に従いますという内容のもの、生物由来製薬に含まれる未発見ウイルスに対する免責事項の内容。輸血の同意についての内容、患者が病院で暴れたときには手足を縛ってもいいよねという同意書。などなど、全部で10枚ほど署名をしておいた。はぁややこしいことの同意書をさせれられるはと思いながら診察が終わるのを待った。

 途中タバコがすいたくなったので病院を離れることに。そして、救急病棟から外に出たら警備員から「どちらにいかれるんですか?」と呼び止められた。「あ。ちょっとタバコです」っていったら。「どうぞ行ってきてください」といわれた。たぶん救急で運んだ後に同乗した人が行方をくらますこともあるのだろうか?などと思いながら。診察結果を待っていた。

一時間後に医師から呼び出された。

第二話に続く(coming soon)

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 激闘 人生あと一ヶ月 親父とのラストラン その1

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.atopy.org/mtsys/mt-tb.cgi/307

コメントする

このブログ記事について

このページは、takayamakeが2008年10月28日 01:11に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「私の父がなくなりました」です。

次のブログ記事は「激闘 人生あと一ヶ月 親父とのラストラン その2」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.25

高山家総目次


since 1996.10