幼馴染の死

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小さな頃によく遊んでいた幼馴染が亡くなったとの訃報が出勤前に近所の人から伝えられた。

 幼馴染とは小学生1年ごろまでよく鬼ごっこをしたりかくれんぼしたり、して遊んでいた。その幼馴染はサラリーマンの家庭で貧乏暮らしだった私の家庭とは文化レベルも違いがあった。

 私の家は当時県営住宅で低所得者が住む場所であった。低所得者といってもさまざまな理由があり、隣の家では、お父さんは高級な車を乗り回しているものの、実態は借金取りが朝から怒鳴り込みをしているような状態で、その一家は最後夜逃げをするというエピソードもあった。そんな我が家の壁にあった公共の掲示板にはマルフクの広告を掲示していて、広告料を当家はいただいていたそうだ。

 そんな環境の中、隣の家の同い年と、今回なくなった幼馴染とはよく遊んでいた。家の前で「××君遊びましょ」なんて大きな声を出して叫んでいたら、母親が「××はいまいないの」といって返事してくれて「今日は遊べないな」なんて考えていた。

 彼は県住の隣に接している持ち家で、彼の家族はとても出来た人たちだった。彼の家に行っては「すごいなぁ」と思うこともしばしばあった。一番驚いたのは水洗便所である。当家はボットン便所で、便所紙をボットンに落とすのである。当然ロールタイプではなく一枚一枚重なった硬い紙の便所紙である。そして月に一度は「証(しょ) 証 証城寺 証城寺の庭は ツ ツ 月夜だ みんな出て 来い来い来い 」と歌詞なしの曲のみで演奏されたバキュームカーがやってきて人間の排泄物を回収して行った。また、小さな頃ボットンにはまってはいけないと、白鳥のオマルで底がないタイプの便器を上に取り付けてトイレをしていたし、白鳥のオマルを卒業する練習もした。しかし、彼の家は水洗便所で紐を引っ張ると勝手に水が流れて便器を掃除する。なので彼の家のトイレは楽しみでもあった。

 そして、雨の日に傘を集めて家を作ろうと思って私の家に帰って傘を借りようと思っても、こうもり傘が二本あるだけで傘の家は出来ないのであるが、彼の家には透明のビニール傘が何本もあり、5本もあれば見通しの利く傘の家が出来るのである。その中で雨をしのいで楽しんでいた。そしてあるときは、彼の家から贈り物が届けられた。それは白い花瓶であった。阪神百貨店の包み紙で装飾のないシンプルな白い花瓶。70年代の派手な装飾がブームだったときを謳歌した母親は物足りなかったらしく安物と判断したのであった。そして、その花瓶を母親は送り主に酷評したらしい。すると、幼馴染の母は何も言わず不思議な顔をしたのだそうだ。(この辺が品格の有無を表している)その後母親は百貨店に行って価格を調べたところ自分が想像していた金額とまったく違うことがわかり驚きを隠さなかっただが、プライドの高い私の母は決して送り主にお礼はいわなかったようだ。

 その幼馴染との交友は貧乏暮らしをじっと耐えながらも金を溜め込んでいた当家が持ち家を購入して引越してからパタリとなくなってしまう。

 その後彼が何をしていたのかまったくわからなかったのだが、私の母の葬儀と、祖父の葬儀にその幼馴染のお母さんがお手伝いに来られていたことと、たまにお母さんとお会いするときは会釈をさせていただいていた。

 今日彼のお通夜に行かせていただいた。私が行く資格があるのかと思いながらも、幼馴染と遊んだ仲であることは間違いなくあったし、最後のお別れに行きたかった。

 斎場では、成長した彼の遺影が飾られていた。小さな頃の面影はなく、私は、どうお祈りをして良いかさえわからない状態だった。そのような中、悲しんでいる私の知らない幼馴染と交流のあった人たち、友人達。そして、彼には美人な奥さんとかわいい娘さんが喪主として参列していた。焼香に来られた人々は彼の人柄を惜しむかのようになかなか終わらなかった。31歳の彼は31年間にこれだけ多くの人々と交流し、家族も設け人々を幸せにしていたことを偉大であると言わないでどんな言葉があるだろうか。自分が亡くなったときこれだけの人々が私のことを悲しんでくれるだろうかと考えたりもした。

 まだ、誰も幸せに出来ない自分の至らなさを感じながら、幸せを多くの人に送り届けていたであろう彼の生き様に感銘しながら、冥福を祈っていた。

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コメント(1)

sue :

31歳のお歳で奥様とお子さんを残して旅立たれたとは無上そのものの念を禁じ得ません。

大勢に送られて去るも、独り逝くも、それぞれにとって知る由もなし、神の導くところに異はなしと心得よ。

残ったものは、徒、おのれの道を歩むがよし。

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このページは、takayamakeが2007年10月25日 21:53に書いたブログ記事です。

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