不幸とは何か 第三章
街はクリスマスシーズンである。クリスマスソングを耳にするたび
「ハァまた今年も一人でクリスマスか」と思い返すのだが、悲しくもあり、街を歩いている自分がいることを改めて認識する季節でもある。
悲しみの始まりは、青春真っ只中である17歳のクリスマス。小児病棟のベットの上にいたのである。隣の部屋では新生児が哺乳器の中で泣き声を上げているし、ベットの隣には小学生低学年の子供たち。ベットのサイズは明らかに私の体系に合っておらず、布団のサイズも足が出てしまう状態なので丸まって眠っていた。
アトピーは食べ物が原因ではないか?ということがまことしやかに囁かれていた時代。「アトピーは子供の病気」が常識としてまかり通っていた時代。私もどのようなアレルギーがあるものかと免疫アレルギーセンターと称する科がある、食べ物アレルギーの治療で有名だった病院に罹ったところ入院は小児科へと誘導されてしまったのである。
なぜ入院まで考えたかというと、大学受験期に日を追うことにアトピーがいつもの薬ではコントロールが効かず、皮膚科医がいつものステロイドの減量をおこなったことがさらに病状の悪化を招く。そして、10数年来罹ってきた皮膚科医を捨てて、原因を突き止めるために免疫アレルギーセンターと称する科へ罹ったのであるが病状は好転せずついには入院へ。
当時から30代前半にしか見えなかった私は大きな決断をする。それは、頭を丸刈りにすること。頭皮にも多くのタダレが起こっていたのである。そしてさらに見た目は30代前半に近づくことが出来た。このころから見た目に対する執着は一切持たないことを心に決めていた部分もある。おかげで病棟の小児患者の親御さんからは「保護者の方もご一緒に入院できるんですね」なんて皮肉られたりもしたのである。
小児入院病棟は入り口に鍵かかけられており、外出は厳禁。売店に買い物に行きたいと申し出をしても「子供たちも出たがるので、買いたいものを申し付けてください」とのこと。でも、毎日看護婦さんに新聞購入のパシリをさせるわけにも行かず結局我慢の入院がはじまる。
テレビ厳禁、おやつは配給制。配給されてくるおやつはビスコとジョア。病院内にいる保母さんが気を使ってビスコを多めにくれる日もあった。このときのジョアとビスコは本当においしかったものだ。
唯一の娯楽はゲームボーイということで急遽購入することに。子供たちにソフトを交換してもらったり、攻略法を聞いたりして楽しむことにしたのだが、ゲームボーイの時間が決められており一日4時間だけの楽しみであった。この当時、お金持ちの子供さんからゲームボーイのソフトを大量に恵んでもらったりして貧富の差をこのころから身に沁みて感じたものだ。
ゲームボーイの時間以外は暇なので寝て居ればいいのだがそういうわけには行かない。子供たちが私を放って置いてくれないのだ。
子供たち 「お兄ちゃん遊ぼうよ!!」
ってよってくるし、人とは訳隔てなくつきあいたい私は「なにしてあそぶの?」と聴くと
子供たち 「かくれんぼ!!」
というので、年甲斐もなく小児病棟を隠れまわる羽目に。。。
子供相手だから大した事ないだろうと箍を括って隠れていたらあっという間に鬼にされて、鬼から抜け出せない状態が。。それからむきになって探し回るのだが、つばしっこい子供たちに翻弄されること2時間。なんか子供たちにバカにされた気になって頭にきたので、私は小児病棟から抜け出して隠れていたら病棟の看護婦さんに見つかって怒られる始末。。。実は看護婦さんが鬼だったようです。
そして、こんな生活の中、ある日看護婦さんが病室にやってきて「高山さんこの部屋使いますから病室を出て行ってください」っていわれた。何をする訳でもないのに出て行かないといけないのかとおもって病室の外に。そして、私の病室にカーテンが引かれなにやら看護婦さんたちが出入りしだした。何をしているのかと思ったら、クリスマス会の準備なのだそうだ。そして、「高山さんもよければクリスマス会見てください」とのことだったので子供たちと共に体操座りでクリスマス会の開催を待っていた。
そして、クリスマス会がはじまった。セーラームーンのカッコした看護婦さんが3人ほどが、ベランダから窓越しに乗り越えて登場してきた。SHOWの始まりである。確か、SHOWの内容は病気という悪を確かセーラームーンがやっつけるか何かだったはず。
当時から、くそがつくほど真面目な高校生だった私はかなりの衝撃であった。というより、当時はピュアだったので看護婦さんたちの格好を楽しむというより、私を「子ども扱いするな!!」要するに「ばかにするな!!」という反応をしてしまったのでそのときのことをあまり覚えていない。ただ、このクリスマス会は子供向けのはずなのだが、病院の医師が結構集まって見に来ていた。病院の先生方は違う意味で楽しみにされていることが今頃になってわかってきた。
クリスマス会の最後にみんなでケーキを食べたのであるが、「いただきます」をする前にさっさと食べようとしたら「あ、悪いお兄さんがいるね。いただきますしましょうね」って言われて、みんなと共にいただきますしてケーキを食べたのであった。まさか、病院で躾けられるとは思ってもおりませんでした。
クリスマス会も無事に終了してさて、夜ゆっくりと眠り翌日目が覚めた。すると足元に妙なものが。。。プラモデルが置かれていた。夜勤の看護婦さんがクリスマスプレゼントをわざわざくれたのである。今考えればなかなか洒落のわかる看護婦さんですよ。同室のお子さんにもプレゼントを用意していたようです。高校生のころからひねくれものの私はこのプラモデル、うれしいと受け取れず、どこまでガキ扱いするんだと思っておりました。本当にこのころから素直さがないひねくれた性格であったと反省しています。
お昼にはサンタさんも病室まで廻ってきてくれて私にもプレゼントをもらったのだがサンタさんがチラッと「どんなご病気をされているんですか?」って真顔で聞かれたときにはちょっと笑ってしまいました。サンタさんとペンギンさんがツーショットで写真撮ってくれるって言うから写真も撮ってもらいましたね。いまでも笑顔で写った写真が手元にある。
そして、小学5年の男の子は「おにいちゃん教えて」って冬休みの宿題を持ち込んできて家庭教師をしようとしたんだけれども、暇つぶしに丁度いいからそのこの宿題を代わりにやってあげていたりした。明らかに小学生の文字ではないから学校の先生にばれていると思うんだけれどもどうなったんだろうか。
今考えれば貴重な経験だったことが解るのであるが、この入院中母が癌で手術することがきまり、急遽家族から退院することを迫られ、治療の半ばで退院することになるのであった。この出来事は、私の両目が見えなくなる9ヶ月前。祖父が脳溢血で倒れる10ヶ月前。母が亡くなる1年前であった。
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