「うつくしむくらし」
現在なぜか浜松市の某所にて記事を書いている。出先で見た静岡新聞7月31日の記事から下記のBlog記事を見つけた
「うつくしむくらし」http://demokuri.exblog.jp/5374076/ 「うつくしむくらし 窪島誠一郎ひとり語り」 「うつくしむ」とは、かわいがり、大切にいとおしみ、ゆるすことです .. 著者の窪島誠一郎さんは、戦没画学生慰霊美術館「無言館」 館主。 「うつくしむ」とは「慈しむ・愛しむ」の元となる古語。昨年の話、「無言館」を反戦平和運動の団体が訪れたという。
「たとえ平和の方向であっても、みんなが怖い顔をしてひとつの方向に雪崩を打つのは不気味」と窪島さんは語る。なぜなら、身内だけへの愛は、同量の憎しみを生むからだと。窪島さんは美術館の主宰なので、芸術作品を通した例え話をする。芸術鑑賞は作品の前にいる自分を見に行く体験。何故自分は感動しているのかを考える時、それは自分が何者かを問うている時であると言う。そうした体験を通して、人は他人の価値観を否定しないようになる、と。
人は、相手を思いやることで他者との共生を可能にする。自分の命と同じように他者の命を大切にしてはじめて人は優しくなれる。いざという時は死ねばいいなどという短絡思考の人間は、いざという時いとも簡単に他者の命を奪う。
命を大切にするということは、目の前にある現実ではなく、未来を推測することである。そこに希望が生まれる。
この記事を読んで思想を同じ方向に雪崩を打ったように向かわせる可能性がどうなることなのかを考えさせられる内容だった。
家庭内でも「貴方のためを思って」という愛情という名で子供の方向性をコントロールしようとする状況である。子供の将来を親の期待で決めてしまうことで子供は人格が奪われた上、親の思い通りに生きられないことを悟った子供は、それ以外の選択肢があることさえ解らないために親の命を奪って自由になろうとする。
私も集団を形成して方向性を打ち出している人間としては耳の痛い話である。思想を統一させるために脅したり、すかしたり、嘘をついたり、卑しめたり、持ち上げたり、怖がらせたりすることで実はある一定のコントロールが利いてしまうのが人間なのである。さまざまなカルト集団の手法が実態を表しているし、監禁殺人事件がなどがおこるのである。特に周りに評価に合わせて生きるだけの人間が増えていることで雰囲気で流れが出来てしまう社会になっているようだ。
家庭内でも、社会の集団でも本人たちが意図しなくとも一人一人の思想を統一しやすい社会になってしまったのかもしれない。
でも本当に大事なことは人間は悲しい生き物であるということ。世界平和を叫びながら周りにいる人間を押しのけて生きようとする人々を見ると、平和ってどこになるのだろうと考えさせられるものである。
「うつくしむくらし」ということがわかると平和の意味もわかるのかもしれない。
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