アトピー連続小説 続・骨折とアトピー 第七話

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看護師に対するイメージに対して、下記の内容のことをある看護師は述べていました。

 たいてい合コンに行けば「看護師さんって大変だよね。夜勤とかあるんでしょ?やっぱ土日は仕事でしょ?採血とかもするの?夜勤ってやっぱり怖い?お化けとか見たことある?何科で働いてるの?泌尿器科?子どもとかいじめてない?制服ってやっぱり白衣?彼氏の前で白衣着たことある?先生と看護師の不倫とかって多いの?お給料いいんでしょ?白い巨塔みたいな感じ?」みたいな。。 職業明かした途端、食いついてきたりする男も多いですし。。 ドラマとかのせいなのか世間一般のイメージが構築されすぎててますよね、この職業。。

なので普段は職業を明かしたくない!!とのこと。

 病院という非日常の世界のことはみんないろんなことを想像しちゃうんですよ。医療福祉カテゴリーで言えば特別養護老人ホームのような普段の生活を演出している場所のスタッフという雰囲気とはまったく違うのですよ。介護福祉士やヘルパーと看護師の違い皆さん考えたことありますか?

では、一患者として看護師さんと接しての思い出話を一つ。

 今の連載をしている中で、そういえばなぜ看護師補助員であった看護学生と話がうまくいかなかったのか思い返していた。

 連絡先を教えてもらうには、ごく普通なパターンで考えれば勇気を持って、強引に声をかけ続ければ教えてもらえるだろう。私の場合は少し違った。私がアトピーであることを相手は知っていて、教えてくれていたのだ。

 そして、何度かあってみたのだが、何かが違ったのだ。何が違ったのか。それは、相手の看護学生も軽度のアトピー患者であったということである。看護師さんのアトピー罹患率は他の業種に比べて高いといわれている。それはなぜなのか。さまざまな説があるが、私はあえてこの説を採っている。それは、「人を助けられる職種であることで志願した」と。

 私が声をかけた、看護学生は女性の中でも容姿端麗な人であった。だが、話の内容は私のアトピーのことについて及ぶのである。その中で私のアトピーはよくなるのに、高山さんのアトピーはなぜひどいのだろう?というのである。そこで、

高山「ではあなたのアトピーが悪くなるときはどういうとき?」
相手「いらいらすることが多いときと季節の変わり目」
高山「私は年中悪いままなんだよ」
相手「なら何か対策することはあるの?」
高山「情報は全国のアトピー患者から得ているけど誰もこれといった情報を持っていない」
相手「きっと私が医療現場に行けばもっといい情報を教えてあげることが出来るよ」
高山「そうかなぁ。」

 相手の子は相当お父さんから甘やかされているようで、アトピーのことを一番心配しているのはお父さんでアトピーを治す為の情報をいろいろ教えてくれるということだった。

 それと、看護助手の仕事にいたっては、
「お年寄りのおむつ交換ばかりで、もっと患者さんの話を聞いたり、患者さんの頼りにされる仕事に就きたい。だから早く免許がほしい!!」と話をしていた。

 当然この女性は見た目も魅力的で当たり障りのないお付き合いをする程度なら、多分そんなに問題はないのだろう。ところが、私がこの女性に何か物足りなさを感じたのは、自分より弱い立場の人間に対する視点である。

 私はアトピー患者を弱い人間だとは思わない。一時的に弱い状況に追い込まれることはあるだろうが、所詮は私と同じ人間である。かわらしい、いとおしいアトピー患者なんていないと思っている。それよりも、アトピーへの執着が強いために被害者意識が強くなり、人間不信になり精神的に追い詰められていく。また、アトピーに子供を追い込む家族は統計的に人間や社会を卑しめる教育をしている土壌があるために、家族が哀れな卑しい対象であるアトピー患者を世間にさらすことが出来ないために家にこもらしてしまう状況も眼にしてきた。家族が何浪させても大学に行かせたりする、高学歴なアトピー患者が多いことを見ても解る。

 なので、アトピー患者は愛くるしいパンダのようなかわいらしい弱いものではないのである。それよりも、狡猾でずるい、自分の弱さを隠すために自分の強さを無理して表現しようとして、弱いものの集まりの中で自分が台頭することで存在価値を見出そうとする患者会の目も覆うような主導権争いを目にしてきた私はアトピーの問題からできれば遠のきたい一心なのである。

 そのような中、自分よりも弱い立場の人々を助けたいという看護師に遭うたびに「お前は大丈夫か??」と思ってしまうのである。

 看護師になる場合、現場は肉体労働力のみでしか報いを求めていない。爺さんばあさんは自分の足りない生活力を借りたいだけだったりする。ちなみに病棟勤務での看護師平均勤続年数は3年から5年だそうです。

 自分の中にある弱者像がきれいで美しい姿であるとお考えの方々。それはあなたの弱さを美化するための虚像だと考えるべきでしょう。

 これは弱者である私の目線であるが、アトピー患者がアトピーであることで不満を言うことは当然である。そして、アトピーであることが社会が作り出したとか、家族が作り出したと人や世間のせいにすることも簡単である。

 だが、これは私の活動スタイルであるが、自分がアトピーだからといって劣った人間であることを認める必要はない。アトピーであっても一人前の人間として普通に生活していくことが大切なのである。自分のアトピーを認めたうえで、社会生活を送っていくこと。
 これは、アトピーというどれだけ努力をしてもどうにもならない病気のつらさを経験したことで悲しみや苦しみを自分で乗り越えていける強さを持った人間であり、人間の本当の悲しみや苦しみを理解できるやさしさをもてる人間になることにもつながるのです。

 人間「生きて死ぬ」だけなのに、肩書きや容姿に左右される悲しみやつらさなんて「死にそうな」想いをしたつらさに比べれば比べ物にもならないです。それに、自分を大きく見せるための、人間の野心や野望、大義などが、人間が一番大事にしたいといけないことを無視してしまうことにつながる。あさま山荘事件のように大義のために人間を殺せてしまう。そういう意味では、周りの人も豊かであり、自分も豊かである人生。それは、人間として普通に生活できることだけなのかもしれません。

 こんな難しいこと若いうちは理解できないのが当然なので、今後はもっと楽しい話の出来る私にならないと死ぬまで誰も相手してくれんなぁと最近しみじみ感じます。

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てるてるぼーず :

高山さんへ
長~い人生なんだから孤独になったり、躁鬱になったり、落ち込んだり、考えてしまったり、いろいろあっていいと思うんです。わたしが思うたいせつなこと...なんですけど、マイナスに思えることでもプラスに思えることでも、ひとつひとつをたいせつにする気持ちが大事だと思っています。高山さんは自分の身体のこと、こころにあることをたいせつにしていると、文章から伝わってきます。わたしはアトピーという病気になったことがありません。だからほんとうに心底高山さんのことをわかっていないのかもしれません。。。でも少なくとも、高山さんが自分と向き合うがうえに、苦しい気持ちになったり、不安になったりすることはわかります。いいかげんなことを...と思われるかもしれませんが、高山さん、まだ若いから(エネルギーがある!)いろいろ考えてしまったり、突き詰めて考えてしまったり...というのもあるんと思うんです。ひとつひとつをたいせつに積み重ねて歳を重ねると精神的なことは楽になりますよ~!(へへ、オバちゃんの意見でした!)

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このページは、takayamakeが2006年6月16日 03:28に書いたブログ記事です。

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