メロンドーム
神戸にお住まいの方ならメロンドームといえばどこにあったかご存知だろう。メロンドームは室内ゴルフ場だったんだけれどもその跡地が現在のHAT神戸である。現在、自分の心が壊れてしまって、いつもかかっている病院の近くを散策したときに気づいた思い出話です。
私が大学1年生のとき(1994年 震災の1年前)「親和女子大学主催のダンスパーティーがメロンドームの隣であるらしいぞ」という話をクラスメートがしていて、大学生活をこれから満喫するぞ!!と思っていた当時「行ってみたいなぁ。幸せな大学生活を知ってみたい」と思って参加することを決めた。
当時、私の母親は癌に侵されていて、母が唯一楽しみにしていた私の大学入学式のときも入院していたので出席できなかった。入学式が終わって数日後、母は退院していた。だが、退院したとはいえ母は本調子ではなかった。アトピーが重症化していて、病気のつらさがわかりかけていた、私から見たら母の料理をするつらそうな表情は今でも思い出す。そのような家庭環境の中「ダンスパーティーに行きたい」と家族に言ったところ親父は「料理は誰がするんや?」という主張で兄は「大学生らしい生活だね」という雰囲気だった。この当時兄は浪人生で私が先に大学入学したことを快く思っていなかった。(現在兄とのわだかまりはないですけども)だが母親は「せっかくの楽しめることならば家のことはいいから行っておいで」と母に家事を託して当日メロンドームの隣にあったホールへ行ったのだ。
そして、当日約束していたと思われる時間に現地へ行ってみたのだが友人たちはいなかった。それに、会場に集まっている人々を見て、ふと自分が抱えている現実を顧て「俺ってこんなところにいていいのだろうか。もっと大事なことがあるんじゃないか?」と興ざめしてしまい、そそくさと自宅に帰った。家に帰ったときあまりの早い帰宅に母親は「楽しんできてないでしょ。どうしたの?」といわれたが、私は友人がいないので帰ってきたとしか言わなかった。ちなみに友人は30分遅刻していただけだそうだが、当時は携帯電話もなくポケベルも誰も持っていなかったので連絡がつかなかったのであった。
それ以来、大学で楽しそうなイベントに参加することはもうなかった。友人もまじめで話の分かる友人とのつき会いしかしなくなってしまった。
そのメロンドームも現在はない。私がメロンドームに行った3ヶ月後に私は失明し、4ヵ月後に祖父が脳溢血で倒れ、8ヵ月後、母はなくなり、母の死後4日目に震災があった。メロンドームのあたりは復興住宅が多く立てられ、人と防災未来センター(震災のことが記録されている)が建てられている。復興住宅ではあまりの人の悲しさに高層階から身を投じてしまう人も後を絶たないとのこと。人として大事にしないといけないものってなんなのだろうかと当時を振り返りながら今の自分を振り返る今日この頃です。
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