社会人としてのアトピー患者の目
先日ようやく就職活動を終了して、人材売買業の紹介で一定期間あるところで働いてみることになった。そこで、社会人としてのポリシー研修なるものを受けてきたのである。
その中で、「お前がお客さんの立場のとき腹が立ったことはこれからお客さんにするなよ」とか「技術がないから、答えは言えないけどどんな形であれ、客が満足できればそれでええんじゃ」とか「クレームが出ないように、こちらが予知能力を備えて客の人物評をしっかりして、超能力者になりなさい」とか、結構、脅しがきつかった。
その中で一番お笑いだったのが、研修の書類にアトピーの話題が登場したのである。その内容はというと、
例えば近所のおばちゃんで医者の人物評をする人がいる。
そのおばちゃんが
「皮膚科ならあそこのお医者さんがいいよ。だって治らないと思っていた私のアトピー治してくれたんだもの!」といっているらしい。
研修内容の文面のくくりに、
「では、どうしてこういう人が生まれるのでしょう?
それは、その医者に「感動」したからです。」
この内容に私は心の中で大爆笑してしまったのである。
この連中、相手が後はどうなってもいいから、今結果の出ることだけやっとけばええねんという教育するんだと感心したものである。それに相手をだましても満足させればいいという香具師教育にも満ちていた。
実はこの感動をお客様に与えるということは経営コンサルタントが自己啓発の一環としてよく多用される言葉である。大物マネジメント論者のF井Y雄氏も本などでよく多用している。
これが、大卒の私なら、「そうか、感動を与えればいいんだ」と真剣に考えていたと思う。そういえばこの手の言葉で類似語は「共感」という言葉も当てはまります。
そして、「品質って理解しているか?」
という話になり。品質の本質的意味を君は知らないだろうといわれた。そこで私も答えられなかったので意味を聞いてみると、品質とは、質を一定に保つことなのだそうである。これは、サービス業である場合、人間を指すらしく、人間の質も一定に保たないとサービス業として成り立たないそうである。ここでは、没個性を訴えてくるのである。またここで、健康管理につい点も一定の質が必要だと念を押されたものだ。
なにせ、普通の人間に「相手の心を読む超能力」と「生死(体調)のコントロールが出来る法則を作り出せ。出来ないといわずに、少しでも近づけるように努力しろ」ですんでね。そのくせ、人間の質としては他の人間と変わらないような横並びも忘れるなですからね。あのー私は人間なので頭が言う事聞かないんですけど言い返そうかとも考えてしまった。
最後に労働者の権利と義務について話があり、健康管理をしようとしない人間が、権利ばかり主張することは社会的道義に反する。何事においても出来ない人間は何かのせいにしたがるのは明白で、義務をしっかり果たしてくれとのことでした。どうやって義務の基準を引くのでしょうかと聞きたくなったものである。
さぁ、久しぶりの一般社会生活。これからどうなることか。私が仕事を続けられそうなことを毎日祈るばかりです。
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