震災10年
震災から10年を迎える
私は被災民なのである。家は西宮なのだが、地元で追悼イベントがあることさえ知らない。ちなみに私の住んでいるところは震災飛び地といわれ、震源地から結構遠いにもかかわらず、西宮の中でも被害の大きい場所であった。先日、朝日新聞で震災飛び地というものが存在することが地質学的に立証され、私の住んでいるところは、古い家が多いから被害が大きいように見えるという説ではないことが証明されたばかりであった。ちなみに、震災後私の通っていた小学校が、「6年3組の阪神大震災」という本を出版していた。この本結構有名らしく、ビデオ化されたものは賞をとっている。その地域にいながら、震災後の地域活性化や街のつながりはあまり感じられない。
震災で大きな被害を受けながら私が、市民活動を勉強させてもらえる場所を捜し歩いてたどり着いたのが、神戸市長田区の鷹取コミュニティーセンターで、いまは、自分の住んでいる地元の地域住民より鷹取地区の人々とのほうが私のことをよく知ってくれていたりもする。
私の住んできる地域は、田畑をつぶして、小さな建売の分譲があったり、社宅やマンションが多い場所である。まだ、町が中途半端に新しいんだと思う。震災後で地域が活性化した場所はもともとコミュニティーがある場所のようである。
神戸長田近辺の街は、震災後の救援活動をきっかけに街づくりなどで、市民参加によって作り上げられてきたことは、活動に参加すればするほどすごいなぁと思うのである。
これは私事なのであるが、震災の年の1月13日に母がなくなり、14日が友引で15日、兄の成人式がお通夜。16日が母の本葬で荼毘にふしたのであった。
母の看護は1年間かかりました。1994年初め、母が病気になったときに私のアトピーも大爆発し、9月には両目が白内障で目が見えなくなったため、入院。母方の祖父も同じころ脳溢血で入院。そして1995年1月、母の病状がよくないということで、1月8日に私は病院を退院し、その後、母の死去から震災までととにかく大変な時期であった。
震災後は生活を立て直すことに時間をとられ、震災は仕方のないことと思い、時間だけが過ぎていったのであるが、震災が、被災地にとって、いろいろな社会システムに疑問を投げかけたのだと改めて思うと、震災は過去のことという考えではなく、震災がさまざまな社会問題を定義するきっかけ作りをした、という意味では、とても大事なことだったと思うのである。
今日は電車の始発で鷹取駅を目指したのであるが、震災のおきた時間、電車に乗車している人もいたのだなぁと思いながら鎮魂のミサへ向かったのである。
アトピー的自由計画を作っていくうえで震災NPOといわれている人たちからいろいろなアドバイスや、支援をいただいている。こんなに、人やものの資源を作ってこられたパワーには頭の下がる思いなのである。私は、アトピーのさまざまな団体にかかわっても、なにか、閉塞的で、不満だけが集まるイメージしかなかったのだ。自分たちの不平を行政に問題を訴えるだけではなくて、行政が出来ないことを自分たちで何かを作り上げていくという活動方針は今でも、アトピー的自由計画の事業内容に活用させていただいているのである。
たかとりコミュニティーセンターにはさまざまなマスコミが押しかけているが、10年が一区切りであるという報道だけは勘弁してほしいものである。まだまだ、やり残していることが在るのだと、言うメッセージが伝わってほしいものである。
現在、神戸市長田にあるFMわいわいでは震災特別番組を放送中です。私はメインスタジオで中継を受け渡しするミキサーをやっています。ぜひお聞きください。
http://www.tcc117.org/fmyy/
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1995年は高山家さんにとって、生涯忘れることのできない忘れてはいけない年なんですね。
復興がまだおぼつかないところもありますが、もう10年経ったんですね。 思い出したら瞬時に思い出してしまうあの時です。
これからも神戸発信の高山家さんであってください。