言葉の切れ味
昨日、FMわいわいのまちはいきいききらめきタイムと言う番組のゲストに呼ばれてトークをしたのであるが、話せば話すほど、私の中に出来上がってしまった理論は、結構頭がカチンカチンになっているのかもしれないと考えるようになった。
アトピーの問題で誰も反論できない、論法をいつの間にか身につけてしまっているのが自分自身の中で危ないことだなぁと痛切に感じることがある。それは、論述における切れ味のよさと言うことと、相手の考えを叩き潰す事は実は一緒なのである。
私は、いろいろな人と話すときに、アトピーの問題で必ずスパイラルに陥ることがある。それは、アトピーの原因と、アトピーの対策についてである。
これは、人によって正しいことと正しくないことがあまりにも多様なので、アトピーの問題については、具体的な治療法や対策について私は一切触れないように心がけている。
そのような中で、アトピーの問題を端的に考えれば、人それぞれで治り方も、対策も違うのは原因が多くあり、複雑だと言うことよりも、重症アトピー患者さんの場合何をやっても回復してこない部分を見ると、原因が特定できていないこと、これに尽きるのであろうと考えるのである。
ただ、このアトピーの原因が分かっていないという言葉は、原因が分かっていると考えている人々にはとても冷たい響きでもあり、その言い方はないだろうという反論も結構されるのである。
ところが、私の場合多くの治療法をホームページや友人から、勧められる立場としては、原因が分かったのだったら話を聞くが、人によっては効かないとか、好転反応のあるものなど、言い訳は聞きたくないので、分かったら特許をとって製薬会社に売ってねと言うことにしている。
アトピーの原因が分からないという言葉と、治療法があるなら国のお墨付きをもらったらという言葉の切れ味のよさは、今後、多くの波紋を広げながらも、いつかは、原因を見つけてもらいたい想いを持っていることも間違いないのである。言葉的切れ味のよさだけで使いながらも、本心として「しっかり発病の研究をしろ」という、含みがあることがなかなか伝わらないことにジレンマを感じている今日この頃である。
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