無味無臭な社会

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 前回、アトピー患者の苦悩 旅情編を書いてのだが、それを見ていた友人の家に、朝まで寝ないでしゃべっていた。

 最近、なぜか終電までしゃべっていることが多い生活をしているのだが、その流れでどうしても、終電に乗り過ごす事も結構ある。終電には無条件で帰ればいいのだろうが、なかなか雰囲気に勝てない自分もあるので、終電後は、友人宅についていくことがある。その際、私は他の人の家に寝て泊まる選択肢のない人なのである。

 私は友人宅で寝ないので始発で帰ればそれでいい人のなのだが、相手をつき合わすことは私の本意ではない。だが、他人が朝まで起きていられると、寝られないという人もいるようで、その部分では本当に他人に迷惑をかけているなぁと感じるのである。
 
 先日、他人が寝ていないと寝られない友人の家についていってしまったときに結局友人は、私が帰るまで起きていたのだが(決して無理強いをしたのではないのであしからず)
なぜ他人の家で寝られないのかを話し合ってみたのである。

 私の場合、旅行さえ楽しいというより不安が先に付きまとう人なので費用があっても行かない選択肢をとるのである。それと同じように、他人の家で寝ないのはなぜなのか、それは私の病状が非アトピーの人が見たとき奇異の目にさらされることと、バリバリと掻く騒音を友人に迷惑をかけたくないと考えてしまっていたのである。寝ないで帰るほうが、何事もなかったように終わるのだろうが今回のように寝ていてくれたほうがいいという友人は本当に理解できるのだろうか、わからないだろうなぁとずっと思っていたことは間違いない。

 しかし、その友人は私の病気に対する理解者で、市民活動でもいろいろな問題に関心を持って理解しようとする姿勢の友人にも壁を作っている自分が見えてきたのである。

 その話のとき友人に「バキバキ掻いたり、顔叩いたり、めっちゃ驚くよ」といったのだが、友人は「それよりも無味無臭な社会がおかしいんだ」といわれたときにハッとしたものである。

 彼のいう無味無臭とは、昔のように長屋や文化アパートの時代なら、隣の夫婦喧嘩や、酒飲んで暴れているおっさん、いびきのでっかいおっさんがいて、それを容認できる社会だったのに、今はちょっとした騒音でもすぐに消されていってしまう。

 その文化の中で私のような、無意識になると騒音を立てながら寝ないといけない人の立場は見えなくなるし、消えて行っちゃう事になるのだろう。確かに防音室で寝ないといけないなぁと考えることもあったのである。

 無味無臭な社会、私も考えれば無味無臭になることを望んでいるのかもしれない。そうでありたいが、なれない自分。無味無臭な人間だと思っている人は大事なものをなくしているという根本だけは忘れてはならないだろうと思う今日この頃である。

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このページは、takayamakeが2004年6月13日 14:33に書いたブログ記事です。

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