他人から必要とされる事の自分の必要性
私は病気を罹患した時から、医師に口酸っぱくして言われていたことがある。それは、「人から頼られないと存在感がもてない自分にならないように気をつけなさい」と。
病気を抱えることで、引け目を持って生きていかなければならない現実がある。これはどうしても越えられないものだと思う。だからといって、自分の存在が人に頼られることでしか証明できないと考えるのは、少しゆがんだ心の状態なのかもしれない。
私が市民活動を行っていくうえで、一番気をつけていることは、人助けをすることによる優越感を味わうためにするのではないということ。これはただ単なる、マッチポンプや漁夫の利、に近い部分もあれば、人助けをすることで自分の問題をもみ消す行為にも近いのかもしれない。
私の場合、アトピーの問題についての市民活動をしようとしているのであるが、私が偉いとか、目立ちたいとか、カリスマになりたくて活動するのではない。あくまで、抱えている自分の問題を次の世代の人には二度と味わってもらいたくないだけなのである。そのために、患者同士の傷のなめあいをするのではなくて、問題を少しでも解決できることを行っていこうというだけなのである。
人助けをする前に、自分が助からないと意味がないので、今いろいろと、仕事をお願いして回っているのだが、なかなか、もらえそうにない状況だ。(相手のあることなので、ある意味私のわがままでもある)最悪、いったん市民活動をやめるぐらいの気持ちはすでに心構えとして持っている。というより、自分をこれ以上犠牲にはできないのである。
患者会の方針と事業はほぼ出尽くしているので、あとはやりたい人にやってもらえばそれでいいのではないかとも考えるようになってきた。誰かかわりに、アトピーの問題を真剣に解決するための活動をやってくれんもんかなぁと、思いつつ、まだ会の中でも、方針に対して議論が逡巡しているところを見ると、同じ事を繰り返すことになりそうだなぁ、とも見えてしまうし、困ったものである。(決して私が解決できる方法を持っていると言いたいのではない。出来ては消えていく会の内容を見て、解決法があるようには感じないのである)
どのような形であれ、アトピーを抱えることで派生する問題の解決に向けて少しでも世の中が動けはそれでいいと考えている。それが誰かによって実現されたのであれば、その会で尽力していきたいと思う。机上の空論や、被害者ずらした訴訟、体制バッシングなどはもうたくさんだ。アトピー患者が最後どのような姿で世の中に生きていくのかを思い描けない限りは、多分活動自体は、元の木網で終わるであろう。
自分本位を基本として、自分の出来る範囲でボランティアにかかわるということは一番大事なことなんだと考えている。多分、そういう思いがない状態で、かかわることが会を私物化したり、次の世代に活動を受け渡しが出来なかったりするのだろう。なかなか難しいことでもあるが自分への戒めとしても今、ここに書いています。
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