2008年11月アーカイブ

 親父はまた一から検査の生活が始まった。

 検査生活は体力を消耗するのみでなにも有益なことはないのだけれども、現状を知るためには必要なことらしい。

 そんななか、驚きの報道があった。

 二時間かかってようやく病室まで案内された。

 途中迎えに来た看護婦さんが事務手続きを何点か済ませながら、病棟へ向かう。

 そしてようやく、ベットに到着することができた。
そして早速、 荷を解いて新たな入院生活のスタートである。

 そして、転院の日がやってきた。

 転院前に医師から再度呼び出され病状についての解説があった。

 医師 今回は転院という事になりましたが、当院でも専門医に検査結果を診せて意見をもらいました。
 高山 どのような意見でしたか

 さて、転院先も決まり、病気も少しだけだったけど、改善する方策が見えた。だけれども、治らない病気なのである。

 悪くなることはあっても劇的な改善はもう期待できないのである。ただひたすら、病気で弱っていく父を見ていくだけの看病。だからこそ、少しでも元気をつけてもらうために、何か栄養をつけることができないだろうかと、そして、病院生活に楽しみでも作ることはできないだろうかと、考えるようになった。

 入院二日目。親父は息苦しさを訴えることはなくなったが、苦しそうにベットで眠っていた。多分、胃が苦しいのだろうと思っていたし、多少の痛みもあるのだろうと、は思っていた。そこで、親父に「もしかして、痛くないか?」と尋ねてみたら。「ウン」と頭を縦に振った。どのように痛いかと聞いたら、たまにズキンと痛みがくるという表現だった。痛いときは看護婦に頼んで痛み止めを打ってもらっているともいっていた。さて、この痛みどれぐらいいたいのかわからないなぁと思っていたらある看護婦が「10のうち痛みはどれぐらい?」と聞くと「8」と返事が返ってきた。これは、痛み止めを打ったあとでの痛みの数値だった。

 普段から痛いとか苦しいなんてほとんど口にしない父。どう苦しんでどう痛いのかなんてさっぱりわからないし。困ったものだ。

 とにかく、受け入れたくない患者はいろんな理由をつけて転院させようとする医大側の姿勢は無責任という言葉が当てはまる。しかし、ここでゴネても医大病院に残れそうにもなさそうな雰囲気なのだ。

 たとえば看護婦詰め所に点滴の終了を伝えに行っても婦長が直々に出てきて「何の御用でしょうか」って感じだし、看護婦も詳しい話をしようとしても「医師とお話されてからにしてください」などなど。とにかく、コミュニケーションをとらないようにしているのが丸わかりだ。親父に聞いても医師は診察をせず、見回りにも来ないといっている状態。

 この状況をどう打開するべきなのか。

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