2006年5月アーカイブ

 日照不足が取り上げられている今年。皆様いかがお過ごしでしょうか。

 アトピー的自由計画は6月3日に集会とラジオ収録を行います。皆様奮ってご参加ください。
初めてお越しになられる方大歓迎です。
お越しになられる方は事前にアトピー的自由計画へご連絡ください。
メールでの申し込みはこちらです。


■「アトピー的自由計画On the Radio」6月放送分の収録


  • 日時:2006年6月3日(土曜日)16:00-
  • 場所:たかとりコミュニティセンター FMわぃわぃ サブスタジオ

    〒653-0041 神戸市長田区久保町6-1-1-201 アスタくにづか4番館2階



各活動へのご参加はあらかじめメールでご連絡いただけると、日程などで変更があった場合連絡できます。


by takayamake

 そして手術室へ。病院の設備は以前の病院よりかなり古いのであるが、なぜか安心感があった。以前執刀した医師は女医さんでした。なので手術室も女性の割合が多く緊迫感があった。だが、今回の場合執刀医が三人男性で罹ってくれていたせいもあるのか比較的落ち着いた感じで始まるのであった。

 下半身麻酔ということで脊椎に麻酔薬を注射するのであるけども、「今からまず脊椎に痛み止め打ちます~」とどういう処置が始まるのか私に確認してくれながら手術が始まった。痛み止めのあと、別の注射針で脊椎に麻酔薬が注射され「いま麻酔を注射しましたから」その後「三十分ほど待ってくださいね」の指示があった後、軽い歓談が始まった。

「結婚相手紹介サービス事業を営む事業者2社に対する排除命令について」 http://www.kokusen.go.jp/g_link/data/g-200605_6.html

という内容が公取から発表されている。確か先週の討論番組で少子化対策として国が結婚相談所を行うとの話が少子化対策担当大臣から発言していた。何でもシンガポールでは国営の結婚紹介所があるらしい。

 ちなみに経済産業省が

「少子化時代の結婚関連産業の在り方に関する調査研究報告書」というものを発表している。
http://www.meti.go.jp/press/20060502001/20060502001.html

 でもどうなんだろうか?多分、国営の結婚相談所を作った場合、民業圧迫とか言う話が出てくるからこういうことを公表しているのか、それとも結婚相談所をよりまともなものにしようとしているのか。

 なにせ、男と女が出会うということを「セックスや淡い想いを楽しめる」と理解している人に「何でも良いから結婚しろ」っていってもね。人間が一緒に生活するということは、双方の価値観がいかに共有できていて人間として足りない部分をたしあえる関係性でないと続かないとおもう。当然、相手の欠点をどれぐらい許せるかもあるとおもう。特に私の場合、あらゆる信頼関係を無条件で壊す病気というリスクが許してもらえるかどうか。これがわかってもらえず不幸なことになる人たちを私はいろいろ見てきた。それに、人生の方向性が合わないことに突き当たるとすぐ離婚するんじゃないかなぁとおもう。

 出会いがないというよりも、二人で生活していくことがどういうことなのかが理解できない状態で引き合わせるだけならやらないほうが良いような気もするなぁ。ある女性から「高山さん。男として最低」という名言を戴いた事のある、恋愛成就率-∞(マイナス無限大)%の私がこんなことを書いていること自体、机上の空論だし、国営の結婚相談所にでも駆け込んでからまた、記事にしたほうがいいかなぁ。

最近、ある人からモラルハラスメントの相談を受けている。
アトピー患者なら被害に遭いそうだなぁと思いながら、今勉強中である。
モラルハラスメントを起こす加害者の人格像は下記の内容のようである。

一話より続き

 アトピーの人たちは、私の知るかぎり地味である。大学生になって今どきのカッコいい洋服を着てみたくて、生まれて初めてファッション雑誌を買った時は、なんだか恥ずかしかった。お金が欲しくて、清掃業のアルバイトをはじめた。3年間続けた。体に多少なりとも悪影響はあっただろうが、B病院の皮膚科が評判がいいと教えてくれたのは、そのバイト先の社長であった。因果なもんだよ、人生は。

 昨年の6月、整形した後すぐに、ゲイの恋人ができた。美容師をしている21才の美男子から告白されたのだ。私の体は、なぜだかこれまでなかった程、きれいになっていた。狂おしい夏を過ごして、秋に彼と別れた。秋のはじめ、私の体はニキビが大量にできた。そして今度は35才の美容師から声をかけられた。髪の長い美青年で、なぜだかまた美容師であった。彼のマンションでコーヒーを飲みながら、私は「まったくこの顔が治る宗教があったら信者になってもいいぜ。」と言った時、彼の顔はギョッとした。彼はある新興宗教の信者であると言った。手かざしすると体の悪いところから膿が出てくるそうである。お祈りをしてあげるから、目を閉じて心の中でニキビが治るように強く唱えなさいと言われるままにした。目を閉じている間、私の心は雑念でいっぱいだった。人間の弱さを市場として新興宗教があるように、アトピーの人間を食いちぎるバカ医者どもも多いだろうなどと考えていた。目を開いてから、彼にこう言った。「もし膿が出るとしたら、それは僕の心からかもしれない。」彼とはそれっきりだった。

 10月になって、私の顔は真っ赤になって大学を休学し、C市の病院に入院した。リバウンドだと言われた。顔を切開したままの状態がひと月以上続いた。その病院で、全身リバウンドの男性を見て、この人はいったいいつ愛されるのだろうと思った。最低だよ、オレは!死のうと思って顔に包帯を巻いたままD高速を時速150キロで走ったこともあった。ドライブは好きだが免許を取ったら3年間で9万キロも走ってしまった。これは狂気の数字だ。バイト代のほとんどがガソリン代で消えた。遠くの都市を通りかかる度に、ああ、どうして私はこの街ですべてをやり直せないのだろうと思った。遺書を書いた。泣きながら書いた。書きおえて、またはじめから読み直したら、漢字の間違いがあって直した。そしてまた読み直したら、大笑いしていた。

 今年の3月、B病院にかかることになった。皮膚科のG先生に提出するアトピーの日記に、死にたいと書いたら、彼はそれを見て軽く言い放った。「ええ、時々死んじゃう子いるんですよね。」コ、コノヤロー!人が死にたいと言っているのに、まったく死ぬ気も失せるぜ!とにかく、この病院にかかってからは私のアトピーは小康状態を保つようになった。ゲイとしての肉体関係を持つ気にはなれなかったが、ゲイバーにはまた行けるようになった。ミセコ(ゲイバーで働いている男の子たち)は、私の復帰を歓迎してくれた。久しぶりに酔いつぶれた私はミセコのひとりにこう言った。「君はうらやましい。この商売についたのは、君が多少なりとも自分に自信があったからだ。自分の若さ、若い時間を試している。」私は私で留学したいと思っていた。それに、両親から離れたかった。それを実行するために、私は自分の部屋をかたずけた。本とCD以外の物はみんな捨てた。私が生活していた形跡を残したくなかったのだ。ありとあらゆるノート、メモ、テープを捨てたのは、手がかりを残したくなかったからだ。2年後に帰ってくるとだけ書いたメモを残してから私は家出した。H市にある工場で一週間程働いた。両親と離れられたのはよかったが、アトピーは悪化した。まったく眠れずに仕事は手につかず、早朝、荷物をまとめて寮を抜け出した。まぬけだった。私が唯一行くことができる場所はB病院しかなかった。G先生には迷惑をかけてしまって、その後自宅に戻ることになったのある。

 私はアトピーの調子がいい時は、本来のお調子者の性格を発揮する。母親からお金をもらってひとりで東京に出かけた。修学旅行以来の東京行きである。私は田舎者で野暮ったく、今まで東京という都市を恐れ、また、憧れていた。東京駅で山手線にのりかえ新宿でおりた。都市の大きさと人間の多さに圧倒されてしまって、私は道のはしっこをうつむきながらはや歩きする。目ざす場所は日本のゲイのメッカ、新宿二丁目である。白昼にもかかわらず、ひと目でゲイとわかる男の子たちがたむろしていた。私は雑居ビルの2階にあるゲイが集まる店に入った。店の中はわずかな照明しかなくほとんど真っ暗に近い。いくつもの小部屋と仕切があって、あえて遠まわしに言えば、男と男が出会う場所である。私はC市でもてないのに、東京にまで来て何してるんだと思いながらタバコをふかして壁にもたれていたら、すぐ傍らで若い男の子が私をじっと見つめているのである。なかなか可愛い子だ。彼と何があったかは、御想像におまかせする。その後、彼とは店で別れて階段を降りると強い日ざしを浴びた。帽子をとり、手で額の汗をぬぐうと、フウーとひと息ついた。東京なんて、ちょろいもんだぜ!男らしく歩いて、高島屋に向かった。

5月17日が「国際反ホモフォビアの日」だったそうです。

ホモフォビアとは、
LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)の
人権問題を考える上で障害になる、
社会の中に蔓延するLGBTへの嫌悪感や恐怖感のこと」。
Act Against Homophobiaより)だそうです。

「国際反ホモフォビアの日」にちなみ遅ればせながら、1998年より高山家ホームページで掲載していた、あるアトピー患者さんの手記である、アトピーとゲイについてを再掲しようと思います。

 18才の時、私の初めての恋人になった彼女に、アトピーであることを告白して、泣いた。その後、彼女と肉体関係を持とうとするが、だめなのである。私の心には偽りがあった。私は子供の時から自分が男にしか興味がないとうすうす気付いていた。そして女と関係を持てば、そのようなことは忘れられると思っていた。彼女のことを愛していた。毎日、きつく抱きしめたが、具体的な男と女の交わりはできなかった。一年半後、彼女は他に好きな男がいると告白したが、別に私は怒らなかった。彼女が女として感じたかったのは当然のことだからだ。私の方にも、いつも偽りがあった。やはり男しか愛せない。そして別れた。その後しばらくして、私はゲイ雑誌を買って、ゲイが集まるところに出入りするようになった。同世代のゲイの男の子は、美男子が多かった。美しい顔立ちと、美しい肉体を見せつけられた私はコンプレックスに陥った。私は美男子ではないし、しかもアトピーだった。

朝は軽食。パンが半切れ程度出るぐらいである。
そして、術前二時間前からさまざまな準備が始まります。

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写真 手術当日の朝食

入院前に精神的な面で問題があり、手術の日程は決めたものの手術に耐ええるだろうかと不安が募るばかりであった。それに、手術といえば私が一番怖がっている抗生剤投与の恐怖があり、アトピー病変もしくはアレルギーの発症でショック死するんじゃないとか思っていた。まぁ、死んだほうが楽という気持ちが無くはなかったんだが。。。

手術前に医師からのインフォームド・コンセントがあった。
このときは看護師長と執刀医がともに病室へ訪れていた。手術についての説明が始まり、手術によるリスクの説明を始めるのであった。これは以前の病院でもあったのだが今回の病院ではそんなに患者を恫喝するかのような恐怖に陥れる説明ではなく当たり前の話のみであった。聞いていてあまりに当たり前の話だったので執刀医に「先生私はあなたのこと信頼していますから思う存分刀を振るってください」っていったんですが、真面目な医師は「いえ、ここはリスクの説明をする場なので最後まで聞いてください」といわれ、麻酔が起こす危険性、術中のショック死、エコノミー症候群(肺血栓)などの話があり、儀式上最後まで話を到達させた。

 気づけばまた入院をしていた。

今回は前回骨折したときに埋め込みをした金属を抜釘手術のためである。入院期間は二泊三日。本当にそんなに早く退院して大丈夫なの?と心配しながら今病室に居る。

 今回入院する病院は整形外科での入院は初めて。前回のようなことにならないかどうかとても心配をしていたのである。前回どのようなことがあったかは前回の骨折コラム参照。

 ちなみに以前の罹っていた病院に関して、包み隠さず今回お世話になる病院の整形外科医に話をしていたので、整形外科医からみると悪口三昧の患者さんはあまり入院して欲しくないなぁと言う雰囲気は感じていた。
そのような中、整形外科医師からは入院の方針についてこのように説明をされた。

高山「あのー私はアトピーであることで病室の患者さんからなかなか理解が得られないことで苦労するのですが」と医師に伝えたところ。
整形外科医師「手術後すぐに退院してもらってもいいんだけど。」といわれ、
エーとか思った。考えてみれば他の病院でひどい目にあったという話を同業者の人に話をすれば当然警戒されるのである。そんなことをころっと忘れての入院申し込みだったのでえらいことになったなぁ。と心の中ではすごんでいたのである。そんな不安な入院生活を前にいよいよ当日がやっていた。

入院申し込み受付のとき
「高山さんは手術があるので個室になりました。個室代は結構です」個人的にはヤッターと思ってたんだけれども気は引けたままであった。

そして、病棟に上がってから看護婦さんたちに再会である。
何せ私が今回した病院へは9年間で通算9回目の入院である。その間にさまざまな病院関係者と医療従事者の方の人脈があるのである。

以前違うフロアーで主任だった人が副婦長になっていたりして、病棟で私と顔見知りの看護士を調べると5人は居るだろう。もともと、ステロイドを使わない治療をしていた病院だったので看護婦さんたちもアトピーのつらさをよく理解してくれている。今回入院する病院でアトピーの症状が5ヶ月間コントロールが効かなかったときがあった。当時の看護をしてくれた看護師さんたちはあまりの症状が悪さに「この病院から違う病院へ行くもの選択肢ですよ。」とか「あの先生は若いから。」とか医者の技量さえ疑うほどだった。だが、そのつらい状況を時間をかけて乗り越えて退院するとき、看護師さんたちの喜びは私にとってもうれしかったものだ。当時の戦友である看護師さんたちもいることが何よりの救いであった。

入院してきて一日目に担当だった看護師さんはベテランさんで「高山さん以前の病院からこちらに移られた状況をお知らせ下さい。」といわれたときににはちょっと戸惑った。だが、「アトピーのことに対する理解が無くて。アトピーが悪化してもほったらかしにされたりしたんですよ。ステロイド使わないことの無理解がつらかったんです。」といったらベテラン看護婦さんは「あら、それは。アトピー患者さんには入浴していい時期を早めるとかは当然のことなんだけどね。でも餅屋は餅屋で整形の先生にそれがわからないこともあるから私の口から伝えておくは。」といわれて本当に安心をした。

 ちなみにベテラン看護婦さんいわく「この病院は整形外科がとても有名で膝の金属抜締手術は翌日に帰る患者さんが標準的なの。迷惑な患者さんを追い出すということではないと思うわよ。」としっかりフォローもあった。

第二話は近日公開

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深夜の病室

  1. 放送日時:2006年5月13日土曜日16:00-16:30
  2. 放送局:FMわぃわぃ
    http://www.tcc117.org/fmyy/
  3. 番組表(第二土曜日):
    http://www.tcc117.org/fmyy/timetable/sat.html
  4. 概要:
    司会:松岡さん
    ミキサー: 岡部さん
    トーク参加者:高山さん、岡部さん、松岡さん

    前半は、4月からゴールデンウィークにかけての近況についてお話しています。

    後半は、3月12日に実施したイベント、アトピー的コレクションの当日の様子、感想などご報告。前回放送分では、どのような進行で行なわれたか、当日のタイムスケジュールに沿った概要をお話しておりましたが、今回はその続きで各パートごとにどのような様子だっかの詳細を担当パートごとに感想を交えてお話しています。

    また、年度がかわり、参加者の中でも就職などで環境が変わったり人が入れ替わったりする時期ですが、アトピー的自由計画も人の入れ替わりが発生します。これをふまえ、6月に集会を予定しておりますが、番組の最後にその日程などお知らせがございます。

 真夜中の病室から投稿である。

 病院の夜は長い。消灯が21時であり朝は6時から電気をつけられる。
夜は眠れないし朝は早いしで睡眠不足になりそうである。
不眠症気味の私は、眠くなるまでベットに入らない方が寝付きがよいというおもいっきりテレビで聞いたみのもんたの話を看護婦に言いたいぐらいである。

 しかし、事情はそういうわけに行かないのである。
まず消灯後はベット以外自分のおられる場所がないのである。特に大部屋の場合消灯後は静かにしておかないと隣りのおっさんから「おまえがうるさくするから寝られんかった。」などというクレームが来たりする。
大体、見ず知らずのおっさんが三十センチの間隔をあけた隣りにカーテン一枚越しに寝ておるのである。この不気味な緊張感、皆さんわかるだろうか。なので隣りの方が寝たかどうかは寝息で大体わかりますね。

 そして、夜の病院はいろんな動物の声が聞こえます。トドのような音やサイの鳴き声、鳩の声のような方もたまにいます。病棟によっては絶叫さえきこえてきます。いびきってホントすばらしいですね。

 さらに見回りの看護婦さんとの闘いでもある。何せ見回りの時間にうっかりトイレでもいっていたりすると病棟内で捜査網が引かれ捕物帳のように探されます。どの看護婦さんが来るかどうかを足音で判断できる人もいるようです。これはかなりの達人ですね。見回りの時間は静かに寝たふりを演じておかないと、なぜ寝られないのかと次の日詰問され、睡眠薬の刑に処されたりもしますから寝られないことを自慢するのも問題のようです。

 ちなみに場合と病院にもよりますが、病棟内で看護婦さんが睡眠薬を患者さんに出すことは可能ですから眠られないと睡眠薬を飲まされてしまいます。

 以前、トラックの運転手である患者さんが病棟内で看護婦さんに、「おイねぇチャン全然寝られへんで。」と絡んでいったとき、その看護婦さんはきつめの睡眠薬を患者さんに投下したのでありました。そうするとその方は睡眠薬が効きすぎたせいで覚醒を起こし、病室の患者さんに絡んで回ったという逸話もありました。

 あと、これは本で読んだのですが、看護婦さんが消灯前に寝ている患者さんを起こして、睡眠薬を飲ませるといった珍事も起こります。

 まだまだ朝まで長いです。なぜ入院中かは、また後日投稿します。あ、見回りの時間なので寝ます。

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