2005年1月アーカイブ
私は今、自由計画の呼びかけ人(まだ代表ではない)と、某ICT支援のNPO(法人格はまだない)の事務員で働いている。
NPOの従業員という立場と、NPOを作っていく立場、両方を今味わっている。私としては貴重な経験であると今思っている。そして、NPOのつながりの中で、NPOはこうあるべきだ!!という先輩方の話を聞くことが出来る機会が今多い。今まで話を聞いて思ったことをまとめたい。
NPOの運営には、組織の形を考えるべきだという意見。(組織論)
NPOの運営は、参加型、自主性を尊重し、民主的に進めるべきだという意見(民主論)
NPOの運営は、目的をはっきりしないと、一般営利団体と変わらないという意見。(目的論)
私は若いので、どの意見が的をえているのかなぁと考えた。
●長所
・組織論の場合
NPOの意思決定の形の作り方では、事業遂行がすばやくなり、事業拡大が行いやすい。
・民主論の場合
計画の段階から、いろいろな意見を集めることが出来、いろんな人々との、意見が取り入れられた活動になる。
・目的論の場合
社会に対してのどのような貢献が明確になることにより、社会からの共感や支援を得やすくなる。
●短所
・組織論の場合
作り方によっては独裁的な組織となり、団体のブレーキがかかりにくくなる。
・民主論の場合
多様な意見を取り入れることと、合意を得るまでに時間がかかることで、事業を進めにくくなる。取りまとめ役の負担が重くなる。
・目的論の場合
目的を意識しすぎることで、収益源を求めにくい場合もある。また、団体の目的にあわない人々ははじめから参加できない。
そして、いろいろと考えている中で、この三つはどれも相反することにもなるし、全部、にこだわり続けるのも無理が出てくるである。
そして、結局のところ、どれも大事なことなのである。ひとつのパターンにこだわりすぎないことと、場合によっては、ある部分だけ強めることも大事だと思う。
(たとえば、団体設立時は、参加型重視で、遂行後は誰が責任者かという組織を決めないといけない。目的も、はじめは大きな括りにして、遂行後は絞っていくことになるだろうし、かわる事もあるだろう。)
さて、この意見、多分知り合いのNPOの人も私のサイトを見ているので、クレームもきそうと思いつつ。まだ、私は若いので、間違っていても勘弁してね。
子供を育て送り出す家族の機能がおかしくなっているのか。
家族の問題は家族の内部を見ているだけではわからない。日本人はもともと世間の目を気にしながら生きてきたが、地域の抑止力が落ちた。閉鎖的な中で子育てしていると危ない。転勤の多い大企業のサラリーマン家庭は、地域に定着しにくいという問題を特に抱えやすい。
また今の若者のほとんどはナルシストで、自分はえらいと思っているから、就職して怒られたりすると自分の殻に閉じこもる。背後には母子関係の変化がある。母親と夫との関係が希薄で、会話もセックスも減り、次第にあきらめた母親の関心が、やがて子育てや教育に向かう。母親が自立せず、夫との関係が不幸だと子供を手放せなくなる。子供がペット化し、家庭内で飼い殺しにされる中で、変な事件がおきている。
具体的にはどんな悩みが寄せられるのか。
たとえば二十代前半の息子が女子高生をトイレに連れ込んだりして二度捕まった。彼は大学に行かず就職もせず半ば引きこもりだった。母親は自分の悩みで相談に来ていたが、子供が幼い時から、「私が母親なら子供がおかしくなる」と子育てに不安を訴えていた。母親自身が結婚前に親戚から性的な虐待を受け、親にもいえなかったなど家族の中に封印された性的問題を抱えていた。それが仕事をやめて、子育てに過度に集中していく中、もともと持っていた家族関係のゆがみを子育てに持ち込んでしまった。
家庭内の問題が事件につながることがあると
大阪教育大付属池田小学校で多数の用事を殺害した宅間元死刑囚は彼自身も父親からひどく虐待されていた。被虐待児が大人になるとどうなるか、を示す事件といえる。子供時代の影響で自分をきちんと評価できないものは、自分より弱いものを暴力で制圧して自分の力を自分の力を確認しようとする。家庭内の問題が閉じ込められたまま、世代を超えて新たな問題を引き起こすことが珍しくない。
「母親の力が低下した」「父親不在が問題」とも指摘される。
それをせめても仕方がない。家族は子を生み子育てから老人扶養までやってきた。だが今、それを家族の力だけですべてやるのは無理になってきている。引きこもりなどの対応も家族がもともとになってきた機能を取り戻そうとするだけでは難しい。「夫が働き、妻は家事育児」という家族像を離れ、保育所が一定時間は子供を見て母親は仕事をつつける形にしていくほうがいいのではないか。普通の人が幼い子と24時間一緒にいれば音をあげる。昔ならたくさんの兄弟の上のものが下のこの面倒を見た。親だけで子育てしていたわけではない。子どもも学齢前に異年齢のことすごす経験をしたほうがいい。
家族の力をどう支えていけばいいか。
まずは近所と仲良くなる。自分の家族の問題をさらけ出せるような関係を作ることだ。不登校や離婚など同じ悩みを持つ自助グループを複数持つといい。地縁がなく、血縁にも頼れない時代はそうした問題縁を大切にすることだろう。さらに社会に影響を及ぼす大きな事件は徹底的に情報公開してほしい。そこに家族に関する重大なヒントもある。宅間元死刑囚の幼児期の実態がわかれば、子どもを殴ってはいけない、殴る夫からは早く逃げるべきだということを学べる。家庭の暴力から逃れる人のために社会が何をすべきかもわかる。
この記事は味わい深いのでblogに書いてみたのであるが、若者のナルシストが多いのは結構面白い見方である。ナルシストって自分に自信があるからやってるのかと思ったけど、無理しているんですね。そういえばナルシスと見つけては、論破してやろうと思った私は引きこもりを作ってしまっているんですね。私も、人との接し方を少し考えないといけません。そういえばうちの親父もナルシストだは。論破するたびに自分の殻へ閉じこもってますよ。
地域の抑止力が弱くなっていることも間違いないが、今後は小さな政府になるんだろうから、地域の自治意識が戻ってくることが家庭の問題を解決していかないだろうかとも思う。地縁の中に問題縁が溶け込んでいける形になることが、すみやすい地域づくりになっていくのだろうと思う。
子どもをペット化する時代というが、あらゆる面で人間をペットのように管理する時代でもある。これは、社会のシステム全般に言える。監視カメラが発達する時代になるのもうなずけるのだが。。。
アトピーの問題でも病気を持ったら、病気を抱えながらでもたくましく自立して生活していけるんだという視線がなくなると、何でもほしがる駄々っ子のような、要求だけして、自分は何もしない発想が根付いてしまうだろう。上記の記事は斉藤学氏の記事であるが、大人になっても子どものままというアダルトチルドレンがもっと多く排出されてしまうのだろう。
震災から10年を迎える
私は被災民なのである。家は西宮なのだが、地元で追悼イベントがあることさえ知らない。ちなみに私の住んでいるところは震災飛び地といわれ、震源地から結構遠いにもかかわらず、西宮の中でも被害の大きい場所であった。先日、朝日新聞で震災飛び地というものが存在することが地質学的に立証され、私の住んでいるところは、古い家が多いから被害が大きいように見えるという説ではないことが証明されたばかりであった。ちなみに、震災後私の通っていた小学校が、「6年3組の阪神大震災」という本を出版していた。この本結構有名らしく、ビデオ化されたものは賞をとっている。その地域にいながら、震災後の地域活性化や街のつながりはあまり感じられない。
震災で大きな被害を受けながら私が、市民活動を勉強させてもらえる場所を捜し歩いてたどり着いたのが、神戸市長田区の鷹取コミュニティーセンターで、いまは、自分の住んでいる地元の地域住民より鷹取地区の人々とのほうが私のことをよく知ってくれていたりもする。
私の住んできる地域は、田畑をつぶして、小さな建売の分譲があったり、社宅やマンションが多い場所である。まだ、町が中途半端に新しいんだと思う。震災後で地域が活性化した場所はもともとコミュニティーがある場所のようである。
神戸長田近辺の街は、震災後の救援活動をきっかけに街づくりなどで、市民参加によって作り上げられてきたことは、活動に参加すればするほどすごいなぁと思うのである。
これは私事なのであるが、震災の年の1月13日に母がなくなり、14日が友引で15日、兄の成人式がお通夜。16日が母の本葬で荼毘にふしたのであった。
母の看護は1年間かかりました。1994年初め、母が病気になったときに私のアトピーも大爆発し、9月には両目が白内障で目が見えなくなったため、入院。母方の祖父も同じころ脳溢血で入院。そして1995年1月、母の病状がよくないということで、1月8日に私は病院を退院し、その後、母の死去から震災までととにかく大変な時期であった。
震災後は生活を立て直すことに時間をとられ、震災は仕方のないことと思い、時間だけが過ぎていったのであるが、震災が、被災地にとって、いろいろな社会システムに疑問を投げかけたのだと改めて思うと、震災は過去のことという考えではなく、震災がさまざまな社会問題を定義するきっかけ作りをした、という意味では、とても大事なことだったと思うのである。
今日は電車の始発で鷹取駅を目指したのであるが、震災のおきた時間、電車に乗車している人もいたのだなぁと思いながら鎮魂のミサへ向かったのである。
アトピー的自由計画を作っていくうえで震災NPOといわれている人たちからいろいろなアドバイスや、支援をいただいている。こんなに、人やものの資源を作ってこられたパワーには頭の下がる思いなのである。私は、アトピーのさまざまな団体にかかわっても、なにか、閉塞的で、不満だけが集まるイメージしかなかったのだ。自分たちの不平を行政に問題を訴えるだけではなくて、行政が出来ないことを自分たちで何かを作り上げていくという活動方針は今でも、アトピー的自由計画の事業内容に活用させていただいているのである。
たかとりコミュニティーセンターにはさまざまなマスコミが押しかけているが、10年が一区切りであるという報道だけは勘弁してほしいものである。まだまだ、やり残していることが在るのだと、言うメッセージが伝わってほしいものである。
現在、神戸市長田にあるFMわいわいでは震災特別番組を放送中です。私はメインスタジオで中継を受け渡しするミキサーをやっています。ぜひお聞きください。
http://www.tcc117.org/fmyy/
忘れておりました。今週の土曜日はアトピー的自由計画 On the Radioがあります。
放送局はFMわいわい 77.8Mh
放送日時 2005年1月8日16:00~
今回の放送では、夢基金プロジェクトである、アトピー的コレクションがどういうものかということと、すでに、いただいているご意見のご紹介をしております。
是非お聞き漏らしのないようよろしくお願いいたします。
さらに詳しい内容はアトピー的自由計画のHPをご覧ください。
新年早々、家族ねたは少しきついと思いながら、書いてみたいと思う。
実は、正月を家族で過ごせる状態なのは久しぶりなのである。昨年は、入院していたし、三年前は寝込んでいて、正月明けには入院をしていた。家族で、正月らしく迎えるのは、数年ぶりである気がする。
今年は年末から大掃除や買出しのために親父と共同作業したのであるが、親父と会話をするたびに喧嘩をしそうになるのである。親父は、やってほしいことや考えを言葉にしないで雰囲気で感じ取れというやりかたは、昔からなれないものであった。そして、こちらが、雰囲気で感じ取れないと、怒りで表現するというコミュニケーション術はいまだに、慣れないのである。とにかく、さっきカリカリしていたのかと思えば、突然おとなしくなったりするのでまったく予測できない腫れ物のような人間に見えてしまうのである。
要は情で行動するため、理がないのである。
たとえば、大晦日といえば年越しそばを食べることはある意味年中行事である。そこで、大晦日にスーパーに行って家で食べるために、年越しそばを買おうとすると「大晦日に、何でそばを食べんといかんねや」といいだし、大晦日に、年越しそば以外の夕食惣菜を探そうとしだしたのである。そこで「どうしてそばを食べたくないの」と聞いても理由はいわないのである。これはなぜなのかいまだに分からないのである。そういえば、母がまだ生きていたころ(10年前)、大晦日には親父がそばが嫌いだということで、親父のためだけにうどんをゆでていたことを思い出した。だから、そばがいやなのかなと思うのだがそうでもないのである。三年前は素直に年越しそばを自分で買ってきて食べていたのを見たのである。そのとき私も一緒に食べたものである。では、昨年の大晦日は何を食べたかというと、スーパーの惣菜売り場には年越しそば用の海老てんぷらしか並んでいなかったのは当然のことである。親父は、そのそば用の海老天をおかずに親父はご飯を食べていた。ちなみに、その後、親父は「そば用の海老天はご飯に合わなかった」とコメントしていた。そして、私は結局、一人でそばを食べに行ったのは言うまでも無い。
こんな親父を見て、育った私は、親父を言いくるめることばかり考えてきたのである。なにせ、うちの親父は、人を平気で差別するし、弱いものに対する容赦がまったく無いのである。フェアではないのである。その対象が家族なのである。本来なら親父というのは家族で一番えらいというのは当然のことで、尊敬しないといけない立場であることはよくわかっているんだが、その強いものからずっと、弱い人間として扱いを受け続けるとさすがに、その抑圧は限界が来るものである。弱い人間に、弱さを知らしめるやりかた、弱点を指摘し続ける生活を強要されるとさすがに私も自信がなくなるのである。
私は人から理屈っぽいと言われるが、これはある意味親父のおかげなのである。人との言い合いでは絶対に負けないことが、自尊心を守る唯一の手段と考えて生きてきたからである。最近は親父の無知振りをあからさまにする手法で、親父に苦渋を味わってもらうこともやってきたのである。
実は、この自尊心を守るための手法が、決して今の私にはいい方向へ向かわせない事なのだと考えるようになった。他人の弱点を指摘しまくることが、他人に私への不信感を煽ってしまう、危ない鬼を飼いならしてしまっていることに気づいたのである。
この年末年始、親父が私に突っかかってくる理由は、親父の中で子供に馬鹿にされたくないということがあるようである。私だって親父を馬鹿にしても何の得もしないのである。ただ、人を認めたり尊敬したりすることが無い親父の生き方だけはどう考えても納得できないのだある。
だからといって、60数年間、彼の心の中の鬼を誰も止めなかったのであるならば、私が引き受ける必要もないし、あえて、闘っても何も実らないどころか、私か親父のどちらかがつぶれるまで続けるというくだらないことが起こる事も分かってきた。
なにせ、私も親父も相手を傷つけていることにまったく気づいていないのである。
これ以上の闘いも無駄だし、それよりも、私が親父と同じ事をしないように生きることのほうが今は大事である。今までは、親父に解ってもらいたいという心を捨てきれずに馬鹿正直に反抗してきたが、もうやめである。
自分の立場と、親父の立場の違いだけはっきりさせて、親父の欠点を指摘しないことからはじめて生きたいと思う。
あけましておめでとうございます。本年も高山家をよろしくお願いいたします。
そういえば、昨年の今ごろは入院していたのである。昨年の病院で出てきた病院食を公開しよう。

この写真は大晦日で出てきた食事。申し訳なさそうにそばがついています。そばは伸びないように太麺を採用しておりました。ちなみに私、そばアレルギーありません。

病院からとった初日の出。家で生活していたら絶対に拝めない初日の出である。それは寝ているから。

新年一発目の食事かこれ。関西風の白味噌仕立てのお雑煮がついています。かまぼこ、黒豆ごまめと牛乳はちょっとね。それにバナナもついている。バナナと牛乳でミックスジュースにしてくれればなおよしだったかな。

昼食で結構な食事が出てきた。この日のために、ほかの日の食事がお粗末なのではないかと思うほど、こっていた。入院LIFEでお正月はとても、サービスがよろしいので、私はお勧めです。(好きで正月に入院する奴はいないのだが。。。)
正月は自動販売機が止まったり、売店も閉店しているし、楽しみは何も無いのであるが、唯一、病室へ、看護婦さんが入ってくるときに新年の挨拶からはじまるのは不思議な感じであった。なんで、看護婦さんと新年のご挨拶をしているのだろうかと思ってしまった。
※上記の写真は昨年のものです。今現在は入院していません。誤解の無いように。
