2004年12月アーカイブ

 12月31日の夜に近所のファーストフード店へ一人でコーヒーを飲みに行った。いつもにぎやかな店内はとても静かな空間になっていたのである。
まさに、「シーーン。」としていた。お客さんがいないわけではないのである。数名いるのだが、みんな一人で座って本を読んでいたのである。人はいるが話し声が聞こえてこない図書館的空間のファーストフード店を経験したのは初めてであった。
私がファーストフードにいつも求めているのはこの静かな時と空間なのだが、大晦日しか味わい無いのも残念である。

 大体、大晦日の夜9:00ごろに一人でうろうろしている人などあまりいないようである。一人で自由にうろうろ出来るうちは、大晦日の閉店間際スーパーで安い買い物したり、静かなファーストフード店を味わったり、非日常的な街の雰囲気を満喫できるのだが、家庭をお持ちの方々はこういう楽しみなないのかと思うと、今のままがいいなぁと痛切に感じるのであった。

 カウントダウンイベントには目もくれず、近所の非日常を味わえた大晦日であった。

 アトピー患者さんの一家心中や、韓国で祈祷師が無許可でアトピー治療(塩や酢を塗りこむ)を行ったことで3歳児の患者さんが死亡してしまった事件など、アトピーを抱えることでの不幸な出来事が続いています。

 アトピーを完全に消し去ることが出来ればと何も言うことはないと、心から思うのでありますが、現在は、どのような方法をとろうとしても何か我慢をしないといけないことが多いと思います。

 その、アトピー患者さんが、やり場の無い苦しみを抱える事で起こる問題を行政に訴えて社会的擁護目的の権利獲得も大事なことだと考えます。

 ですが、その前に、アトピーというものがどういうものなのかということを一般の人々に知ってもらわない限り、社会全体でアトピー患者さんの社会擁護が必要であるということをわかってもらえないことがあると思います。

 このような中、私が関わっている、アトピー的自由計画ではアトピー患者さんが明るく街を歩けることが何か出来ないかと考えてきました。

 そこで、アトピー的自由計画は、苦しみが伝わりにくい、アトピーの症状に関して、服を通じて理解してもらえないだろうかと考えました。

 アトピー的自由計画はkobe hyogo 2005夢基金プロジェクトに「アトピー的コレクション」と題しまして、エントリーしました。そして、12月10日に正式認定を受けることが出来ました。
 
 アトピー症状と服と言うのは患部が接していることで、切っても切れない関係が有ります。アトピー患者さんが服を着るときの工夫を、皆さんから自由計画のHPに情報提供いただくことで、アトピー症状との相関性が見えてくることを目的としています。

 最終的には、皆さんからいただいた、アトピー患者さんが日常で行っている、服への工夫を一般の人に見てもらうお披露目会をイベントとして開催したいと考えています。

 詳しい内容はアトピー的自由計画のHPをご覧ください。

 


子供のアトピー苦? 一家心中図る 父と幼い兄妹死亡 大東
部屋に練炭、母は重体
 一日午前八時半ごろ、大東市南津の辺町の男性会社員(30)方で「三階の部屋のドアが閉まっていて開かない」と親族から一一九番通報があった。消防が駆けつけ三階寝室のドアを開けたところ、男性と妻(29)、長男(4つ)、長女(十カ月)が一枚の布団の上で寄り添うようにうつぶせに倒れており、男性のそばで、二つの練炭火鉢が燃えているのを見つけた。
 長男と長女はその場で死亡が確認された。男性も病院で死亡し、妻は意識不明の重体。遺書とみられる置き手紙が残されており、四條畷署では一家心中の可能性が高いとみて調べている。
 同署や大東市消防本部によると、男性方は四人暮らし。長男の幼稚園の送り迎えなどのために、日ごろから妻の母親(57)が訪れていた。この日は、合鍵で家に入ったものの、三階寝室のドアが閉っていたため、消防に通報した。二階のリビングのテーブルに「子供の看病に疲れた。頑張ってきたが、家族みんなで行きます」などと両親や友人にあてて書かれた置き手紙が五通、残されていた。
 子供二人のうち、来年一月に一歳の誕生日を迎える予定だった長女のアトピーが特にひどく、悩んでいたらしい。寝室の窓やドアは粘着テープで内側から目張りをしてあったという。
<出窓のツリー 悲しみ誘う…>
 子供用ズボンが一着干したままになっていた男性方の二階ベランダには、クリスマス用の星型イルミネーションが五つ飾られ、三階出窓には小さなツリーが置かれていた。
 妻の中学時代の同級生の女性(29)は「最近、子供さんのアトピーのことで悩んでいるようだった。でもこんなことになるとは思いもしませんでした」と泣き崩れた。
 男性は昨年まで自治会の役員を務めていた。自治会関係者は「自殺を図るような動機は思い当たらない。お父さんは背の高い、やさしそうな人で子供の話を楽しそうにしていた。奥さんも人一倍明るい人だった。最近も子供を自転車に乗せて走る姿を見かけたばかりだった」と肩を落とした。近所の人は「二年ほど前に引っ越してこられたが、お父さんも布団をたたいたり、子供と一緒に散歩に出かけたりと家庭的でいいなと思っていた」と話した。
(産経新聞) - 12月1日15時48分更新

 今回の報道は新聞ネットテレビなど多くのメディアが取り上げているのでいちいち記事を書かなくても良いかと思ったのだが、メディアから流れてくる情報だけでは、なぜ一家心中まで追い込まれてしまうのかという背景が見えないので、この際書くことにする。

 アトピーは小さいころに出やすい大人になれば治る病気と世間では思われていて、死ぬわけではないのである。しかし、症状があまりにも特異であるため、普段の生活では考えられない異様性を毎日周りの人が経験しないといけないのである。影響をうけるのは特に家族であろう。
そして、私と同い年ぐらいの人がアトピーの子供さんをお持ちであれば、子供の異常性をどうやって標準的な人間に出来ないのかとずっと考えるのは当然のことと思う。

 アトピーの病状によって起こる異様性は、表現しづらい。幼少期からアトピー患者である、私でも伝える勇気はまだまだ無い部分がある。絶対に受け入れられないとも思う部分もあるし、他の人に、異様性を受け入れてもらってはダメなんだと思ってしまう部分もあるのである。

 アトピー患者でさえ、病状の異様性を自覚しているんだから、アトピーじゃない立場でアトピーの子供を抱えれば、なんとしてでも治してやるのが親の役割と思ってしまうだろう。

  アトピーを十把一からげな認識を世の中の人が持っているのだとしたら、重症の人も軽症の人も同じで、軽症の人がいるなら、重症の人はもっと軽症の人になれるだろうといわれることにもなるだろう。

 アトピーでも軽度で、勝手に治った人々も現実にいるのである。そして、重度な症状になり、どうやっても苦しみの中から抜け出せない状態の人もいるのである。治った人や、症状が軽減した人がいるなら、アトピーの地獄から抜け出せる方法は、答えはあると、思うだろうし、そのためなら必死になる。もし、自分の周りにいる同い年のお子さんや、同じころアトピーを発病した同い年のお子さんが治ってしまう現実を知ったら、アトピー児の親は管理不足というレッテルを貼られるのではないだろうか。

 しかし、この普通の人と違う部分を親として、一生懸命なくそうとしても努力して、何とかなることならばいいのだが、もし、努力しても変わらないことだったとしたらどうなるのだろうか。

 成人型アトピーといわれている私であるが、当事者が懸命に努力しても、なんともならない現実は十分味わってきた。そして、努力もしないけど、勝手にアトピーがどっかに行ってしまう事も味わっているのである。もし、血縁関係があっても、当事者ではない人が、病気に関わるときの苦悩は、私が考えるだけでも痛々しいものを感じる。 

 アトピーごときで命を絶つとはという声も聞こえてくるので、当事者として、アトピーとはどういうものなのかを小さい声でも隣人に伝えていくことを続けていくしかないんだろうと改めて思い直しているところです。

 この事件に関しては、さまざまな意見があるが、アトピー的自由計画on the radioでも話してみました。内容がまとまりきれてはいませんが、是非お聞きください。

アトピー的自由計画ontheradioの告知記事
http://www.atopy.org/archives/000090.html

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