一やはり〃燃費〃の悪さを指摘されますか。そんなに無駄には使っていないんだが…
柔らかなソファーに体を沈めた医薬品副作用被害救済・研究振興調査機構(医薬品機構)理事長の正木馨氏はそう言って、不満そうに腕を組んだ。東京・霞が関の新霞が関ビル九階に、同機構は千七百平方メートルの豪華な事務所を構える。医薬品の副作用被害者に、医療費や障害年金を支給するのが厚生省の認可法人「医薬品機構一の役割の一つ。一機構は、医薬品の副作用による健康被害者の救済を図るためことを目的としたした極めて公共性、公益性の高い法人です」こう、高らかにうたう同機構のパンフレットに、書かれていない事実がある一救済給付事業の九五年度の支出総額十二億八千万円のうちご二億円が役職員三十三人分の人件費に、一億二千万円が事務所の賃貸料、光熱費の分担に消えていた。被害者への給付金としては、百七十三人に対して総額七億二百万円が支払われただけだった。「必要な人間を適正に配置し、業務を行っている。この制度が広く一般に理解されていれぱ十分に納得していただける費用だ」正木氏はそう繰り返した。設立当初、同機構の理事長は元判事だった。しかし二代目からは厚生省の「天下り」ポストとなった。九六年六月、現在の理事五人も一人(大蔵省○B)を除き、厚生省○Bだ。正木氏自身、薬務局長の経験者で社会保険庁長官を最後に退官後、社会保険診療報酬支払基金理事長を経て現在のボストに就いた。「(○Bが就任すると)厚生省が意思の疎通をしやすいのは確か。でもそれで公益を歪めるわけではない」と正木氏は言う。今のポストは、「僕が就きたいと言ったわけではない。先輩の○Bが決めてくれたこと」と説明した。同機構は、被害者救済に二十年かかったスモンの反省を踏まえ、「副作用被害者の迅速な救済」を目指し、一九七九年に発足した。一被害者の請求を書類審査し、厚生大臣に判定を申し出る。大臣は中央薬事審議会に諮間し、答申を受ける。大臣からの通知を受けて同機構が被害者に医療費や手当て、各種の年金を給付する。給付金の原資は製薬企業が出荷額に応して納付する拠出金だ。当初の名称は「医薬品副作用被害救済基金」。だが、「民事責任を間うものはうちの対象ではない」と正木氏が語るように、「被害救済」の名の下に製薬会社を救済する制度であるようにもみえ設立以来、昨年度まで十六年間の支給件数はわずか千九百件足らず。厚生省に医療機関や製薬会社から一万六千件以上(九五年度)の副作用報告が上がっていることに比べると、奇妙なほど少ない。救済給付金は、企業からの拠出金によってまかなわれる。設立直後の八○年度は、出荷額の一○○○分の一を各製薬会社は負担し、三十七億六千三百万円が集まった。その後、拠出金率はどんどん下がっていく。現在は一○○○分の○・○五。九四年度に集まった金は五億七千四百万円に過ぎない。裏を返せば、製薬会社の負担が年々軽くなっていることを物語る。「余る金をできるだけ減らそうとしているからだ」と同機構は説明する。「十億余って積み立てても、六億は税金で取られる。国庫に回るのならばいいではないか、という議論はあるが、やはりメーカーにしてみれば不満は残るでしょう」給付件数が少ないため拠出金も減るのだという説明だ。
しかし、「救済給付のシステムに間題がある」と、同機構に詳しい別府宏圀・都立北療育医療センター副院長は指摘する。申請書類に投薬証明が必要なうえ、医師が意見を求められる場合があるが、「医師が反発して協力しないケースが少なくない」という。茨城県の四十二歳の男性は九二年三月に腫瘍の手術を受けた際、抗生物質「コスモシン」の投与を受けて失明した。同年九月、救済金の給付を請求したが、「医師の製剤投与の仕方が不適切」との理由で不支給になった。医師を訴えることは至難の技だ。被害を立証する投薬証明を、訴える相手である医師から取らなければならない。審査の遅れも問題となった。総務庁は九四年、「給付請求から結果通知までに最長約二年五力月」との調査報告をまとめた。「今は、請求から結果通知までは八力月が標準。著しい遅れはない」と正木氏は反論する一方で、「制度のPRが徹底していないのも事実。改善していきたい」と釈明した。本来の活動が低迷する中、組織の変質が八七年から始まった。同年に法が改正され、新薬や医療用具の開発に融資・出資ができるようになった。九一年には、患者数の少ない病気用医薬品(オーファンドラッグ)の研究開発費の助成、後発の類似薬(ゾロ薬)の承認審査の一部実施が新たな業務に加わった。「「機構」の「・」の上と下ではやっていることが全く違うんだ。本来は他でやるべきだった」と、正木氏も苦笑する。
医薬品で被害を受けた人を救済する機能と、その医薬品を製造する製薬会社を経済的に支援する機能が並存する奇怪さ。「基金のあり方として適切なのか。説明を聞いても疑問だ」九三年四月二日の衆院厚生委員会で、菅直人議員がこの問題を質した。当時の岡光序治薬務局長は、「(公務員の人数を削滅する)行政改革の趣旨に乗っ取りながら、専門的な知見があり、かつ厳正中立な仕事ができるところ(医薬品機構)を選んだわけです」と釈明したが、菅議員は、「副作用被害救済のための基金が他目的に、軒先を貸していたのが、いつの間にか一番大きな座敷をそっちに占められたのではないか。副作用とは関係ない趣旨が中心になって改正法が出された」と疑間を投げ掛けた。九六年の第百一二十六回通常国会で、再ぴ法律が改正され、同機構の業務には新薬の治験業務の一部を行う「治験指導部門」が新設された。同年五月二四日の衆院厚生委員会。改正案を提案した菅厚相に山本孝史議員が、「以前の発言を覚えているか」と尋ねた。菅厚相は、「明確者記億はないが、率直に申し上げて、今回はこの機構にお願いすることが総合的な判断から妥当かと……」苦し気な表情での答弁だった。同年十月、新たに十五人の厚生省職員が同機構に「出向」してきた。「今のフロアは手狭です。同じビルのなかに新しいフロアを確保しました」職員の一人は事業の拡大が誇らしそうだった。
「医薬品機構」が、新たな「薬務局分室」になりつつある。
サンデー毎日「厚生省の犯罪」より抜粋